| ボジョレー・ヌーヴォ− |
毎年11月第三木曜日。
フランス、ボジョレー地方の地ワイン。新酒解禁日です。
行きつけの赤い薔薇いっぱいの素敵なカクテルバーで
毎年、午前零時からボジョレー・パーティが始まります。
今年は近くにできた少しずつ雰囲気の違う同系列2店との
間を目印のグラス片手に巡りました。
それぞれ別銘柄の樽で、甘みやコクを飲み比べ。
ふだんならねむっている時間に、透明なグラスにたゆたう
芳醇な赤ワインを味わい、飛び交う会話を楽しむのは
不思議でとてもしあわせな気分です。
ただ、今年はちょっとおまけが。
とうとう朝になり、始発のバスで帰途についたはずなのに、
ふと目がさめると窓の外に海・・・海!?
あわてて降りましたが、ここどこ状態でした。
引き返すバスでは、また街へ行ってしまわないように、
必死で起きていました。
めげずにまた来年も参加しまーす。(2003.11)
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| コヘレトの言葉 |
ある作家のコラムで紹介されていた旧約聖書にある詩。
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何事にも時があり
天の下の出来事には
すべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。 人が労苦してみたところで何になろう。
わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。
神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を
人に与えられる。
それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めること
は許されていない。
わたしは知った。
人間にとって最も幸福なのは 喜び楽しんで一生を送ることだ、と。
人だれもが飲み食いし
その労苦によって満足するのは 神の賜物だ、と。
わたしは知った
すべて神の業は永遠に不変であり
付け加えることも除くことも許されない、と。
神は人間が神を畏れ敬うように定められた。
今あることは既にあったこと これからあることも既にあったこと。
追いやられたものを、神は尋ね求められる。
太陽の下、更にわたしは見た。
裁きの座に悪が、正義の座に悪があるのを。
わたしはこうつぶやいた。
正義を行う人も悪人も神は裁かれる。
すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある。
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いろいろな受け止め方があると思う。
無宗教ながらも、漠然と大いなる存在は感じている。
楽天的なのでいつも守られていると思っている。
信心してないのにずうずうしいかな。(2002.11)
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| 春のかたち |
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甃のうへ 三好達治
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂廂に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ
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時はうつり、喧騒と急ぎ足の街角。
それでも春はめぐりくる。
桜はいまもひらひらと風に舞う。
目をこらすと花びらのむこうに詩人がたたずむ。
彼のまなざしに同化して春を愛でる。(2002.3)
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| 一年 |
新しい出会いがたくさんあり、新しい仕事になんとかなじみ楽しさを感じるようになり、家族がひとり自立した。
毎日は笑っているうちにすぎさり、一年もいつのまにか残りすくなくなる。
逢ったことはなくても、とても身近に感じそのたくましさにパワーをもらっていた人は「あばよ」という言葉を残して痛みのない世界へ。
悲惨な事件がおき、すこしずつ違う方向へ動こうとしている世の中。
生きるための指標をなくしてしまい、あったことを忘れているような人々。
そして私もそのひとり。
日々は流れ、ふとたちどまるがまた流れていく。(2001.12) |
| 狂牛病 |
食生活が変わるかもしれない。
次第に波紋がひろがり、安全に口にできる食べ物が減っていく。
回収を伝える記事を読むと、この原材料もそうなのかと驚く食品や化粧品などが多い。
日常食するモノの製造過程をまったく知らない事実をつきつけられる。
もちろんすべてが危険というわけではない。
だけど、あまりにも膨らんだ人口をまかなうために、食は変化しすぎた。
人類は将来、食の楽しみを手放してしまうかもしれない。
化学的に合成した固形か溶剤を摂取するだけの栄養補給。
それは飽食の果てに、家畜や植物を汚染させ、我が身にふりかかる。
まだ間に合うだろうか。
人々が目の前の経済性にとらわれることなく、地球規模で考えはじめたら。
それはひとくれの土、一滴の水からはじまる。(2001.10) |
| 卑劣なテロ行為 |
自分たちの目的のために罪のない命を犠牲にすることに、まったく痛みも疑問も感じない存在があると知った。
理不尽な死を強いられた恐怖を思うと震えてしまう。
それはセットでも玩具でもない、現実に機能して人々が立ち働いていたビルなのに、どうしても現実とは思えない映像。
奪われた機内から最後の電話で愛してると伝えた声。
・・・なぜ、こんなことになってしまったのだろう。
善悪の判断、ほんとうに大切なものは何であるかという判断。
まだ解明はされていないが、実行犯たちに深く考えてほしかった。(2001.9) |
| 夏の記憶. |
肌をじりじり焦がす日差し。
目をあけていられないくらいのまぶしい光。
情熱の夏、とまらない夏、めまいの夏。
そんな夏の記憶をとじこめたページから、ずいぶん読み進んだ。
このごろの夏は、ひんやりと適温の室内でぼんやりしている。
遮光カーテンで夏の象徴をしめだして。
それでも。
もういちど、めくるめく太陽の下で熱い海辺の砂を歩き、はしゃぎまわる。
そんな夏。いつかきっと。(2001.9) |
| A.I. |
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(※まだ観ていない方は読まないほうがいいです)
時のスケールが途方もなく大きなおとぎ話。
とうとう人類は存在しなくなるほどの。
メカは純粋で永遠に想い続ける。人間はメカに嫉妬し恐れ、弾圧する。
とまどいながらも、メカに憧れてしまう。
ジュード・ロウ扮するジゴロ・ジョーに会ってみたいな、なんて。
デイビッドはメカだがリアル。自分の意思で行動する。
量産されたもうひとりのデイビッドを破壊する瞬間は息をのんだ。
でもそれは自我の表現だったのだろう。
これから人類とメカはどうなるのだろう。
希薄になりつつある人類とリアルに進歩しつつあるメカ。(2001.9)
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| マヌカン |
その店はいまもある。
ふらっとたちよるとかわらぬ笑顔が待っているという。
女の子たちの人生をみつめ、客の声、ためいき、気炎をうけとめる。
記憶の店は電話線でつながり、セピアから色づきはじめ、 ついに リアル
にたどりつく。 グラスが鳴り、客が笑い、ざわめきがたちあがる。
ママとともちゃんにいつか会いにいこう。それから想い出にも。 (2001.6) |
| 舞いおちる桜 |
春のやわらかな日差しの中をひらひら舞う桜のはなびらが好き。
古くから愛され、狂気や幻想にたとえられる桜。
光の中の桜は再生の季節を祝福するように、咲きほこり、舞う。
闇に浮かぶ姿はまた違う顔をみせるのかもしれない。
春はきたが、仕事はみつからない。
自由な時間を堪能して、探すのがおっくうになっているせいもある。
どんなことにも意味があり学ぶことができるから、それらをていねいに
すくいあげて生きるのもいい。 (2001.4)
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| さがしもの |
なくしそうなものは仕事。
やりがいがあり雰囲気もよくて、楽しく学べたのに。
振り向いていてもしかたないので、新しい仕事をさがしている。
でも同じ仕事がいいので、なかなかみつからない。
こんなときはローカルはつらい。
生きがいのため、一日を充実させるため、時間を大切につかうため。
家の中にもやるべきことはたくさんあるのだけど、ありあまる時間を
もてあましてしまい、結局はかどらなくなってしまう。
風よ。止まらずにまた強く吹きはじめておくれ。(2001.1)
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| 新世紀 |
20世紀が幕を閉じ、かつて未来といわれた21世紀がはじまった。
人はどこへむかっているのか。
どこかでうまれたひずみが、だんだんひろがってしまっている気がする。
前へ前へと進みつづけてきた歩みをとめて、まわりをみまわすときだ。
必要ならふりかえってもどってみよう。
なにかたいせつなものを、置きわすれているかもしれない。
心がほっとあたたかくなるようなニュースを知りたい。
ひとりひとりが、自分のまわりをみつめる想像力をはたらかせたら、きっと
わたしたちの前につづく道は光に満ちる。 (2001.1)
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バスジャック犯に母親を殺された男性の言葉
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「少年を厳罰にしたからといっても、何も救われない。 江戸時代の
敵討ちと同じです」
「例えば少年が、初任給で花を一本買って仏壇に供える。
それを 毎月、繰り返す。十年後、もう許してあげるよ、 という心に
なるかも しれません。それが更生です」
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これがただの一般論なら何も心を打たれない。
だけど、最愛の母の生命を理不尽に奪われた人の発言。
もし私がその立場だったら、言えるだろうか。 (2000.11)
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| 出会いの不思議 |
今年、30年ぶり屋久島に行った。
それから不思議な出会いがいくつかあった。
これはただの偶然かもしれない。しかし、もしかしたら、なにか意味が
ある のかもしれない。まだわからない。
私にとって二年前の喪失に次いで、大きなうねりを感じる年だった。
いや、あと二ヶ月。今世紀中にまだ何か起きるかもしれない。(2000.11)
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| 非日常 |
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はるか前の出産以来、入院などしたことがなかった。
しかしそれは急に決まり、私はパソコンなしの生活を受け入れた。
考えたくないけど、医療事故の記事や小説がちらつき、不安だった。
ネットのおかげで治療や経過の知識はあったのだけど。
いちばん怖かった麻酔と手術が終わり、薄暗い観察室での苦しい一夜を
のりこえたら、あとは一気に回復していった。
無事に帰りついたときに、生まれ変わった気がした。
私の中で何かが確実に変わったのだ。
これからの私は、どう生きていくのか。自分でも楽しみ。 (2000.11)
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夢の時間 |
飛行機から海を見ていたら、島がみえてきた。
なつかしさより、その緑の深さと壮大な山々に圧倒された。
そのときから、もう夢の中だったのかもしれない。
同級生は私が知らない私を教えてくれた。すっかり忘れていたことばかり。
長い時間を経て再開できた友たちは、陽気であったかかった。
緑や川のせせらぎ、波音につつまれて、あっというまに時間がすぎていく。
家に帰り着いても、しばらくはふわふわした感じが抜けなかった。
でも、大切な絆はしっかりとにぎりしめて、どこにも落とさないようにしよう。
(2000.8)
屋久島で撮った写真などをつめこんだページをつくりました。
http://homepage1.nifty.com/topaze/
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屋久島 |
電話をとると、時をとびこえて声が響いてきた。
もう行く機会はないだろうとあきらめていた土地で、小学校の同窓会!
あの美しい海と幻想的な山、かつての元気仲間にまた会える。
転校生の私が彼らと笑ったり、泣かされたりしてすごしたのは3年間。
名前をきいてもよくわからない友もいるけど、会って話せばきっと思い出せる。
小さな頃の話と、今までの話、きっと時間がたりなくなるかも。
いつか会えたらいいなとずっと思っていたから、もうすぐ実現するのが信じられない気がする。
来月、海を渡り思い出の島へ。 (2000.7)
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| 運転時の思考 |
通勤は車で20分。行きと帰りで40分間は否応なしに車の中。
広いバイパス道路をひたすら直進。
都会にくらべればかわいいものだが渋滞する。
そうなるともはや運転は条件反射。
前の車が動くとブレーキを少し浮かせて前につめる。
身体の動きは少ないが、頭の中はけっこういそがしい。
いろいろ思い出したり、思いついたり。
でも、夢と同じで着いたころには忘れてしまうことが多い。
とりとめもなく考えるこの時間は私のストレス解消かな。(2000.5)
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| カクテル |
透きとおった液体がグラスを満たす。
軽くゆらすとゆらゆら光が溶けていく。
なんとなく縁がない気がしていた。
ビールを飲めない私はもっと早く可能性をみつければよかったのに。
ふと手にとった小さなカクテルブック。
なんだか、自分でつくれそう。あら、シェイクなしのカクテルもあったの。
スクリュードライバーとブラッディマリーは簡単ね。
コルクを抜いたら逃げ場がないワインより、軽く一杯が楽しめそう。
新しいことをはじめるのは、いつもうれしい。(2000.4)
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| 仕事 |
ふと見つけたチャンスにとびついて、仕事を手に入れた。
大好きなことを高度な環境で一日中できるなんて、信じがたい幸運。
趣味とプロの仕事には格段の差がある。
まぁこのくらいでいいだろうとか、多分大丈夫でしょうなどは通用しない。
その差がひとつひとつ自分のスキルとなって身についていくことがうれしい。
なんと、ホームページを作成する仕事が めぐってきたのだった。
ずっと続けたい。(2000.4)
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| PHS |
しばられそうで、ずっと否定していた。
しかし旅行でのモバイル、連絡用にとうとう導入した。
それは、まず羽田空港での待ち合わせから威力を発揮した。
電車の中でもメール機能で用件を伝えることができる。
時間のロスを消滅させてくれる便利な道具だ。
ただ、あいまいさやすれ違いから生まれる喜劇や悲劇をも、消してしまうだろう。
このちっちゃなモノをどう使うかが問題。
ところで、PHSか携帯かについては、コスト・機能両面から断然PHSなのに、なぜか軽視されていて不思議。
ちなみに私は、H"(エッジ)愛用中。(2000.4)
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| タイムスリップ |
世の中にはお金では決して買えないものがある。
過去の時間、そして誰かの記憶の中の自分。
私がおぼえている人々の中には私の記憶が欠落している人もいるだろう。
私にはおぼえがないのに、私のことをくわしく知る人も中にはいるかもしれない。
不思議。そして、時間をさかのぼるような神秘的な体験。
ふと垣間見ることができた遠い時間の記憶は、きらきら輝いていた。
あのはじけるように明るい日々。
空も雲も何もかもが味方だと感じていた強気な頃、確かにふたりは同じ時間を
持っていた。 ふたりだけのかけがえのない時間。(2000.2)
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| チリレンゲ |
いきなり中華料理の話題のようだが、実はモノの名前について。
レンゲってけっこう重宝している。麺類のスープやチャーハン、麻婆豆腐には欠かせない。
しかし、なぜその名前かということまでは思い馳せていなかった。
たまたま読んでいた小説の中に漢字表記を見つけるまでは。
そうだったのかとしばし感動。「散り蓮華」だったのだ。
なるほど、蓮華の花びら一枚に似ている。
日常の道具に美しい名前がついていたことを知ってうれしかった。(2000.2)
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| エヴァンゲリオン |
劇場版を、たまたまTV番組表で見つけたので録画した。遅すぎ?
ずいぶん展開が早い。突然過去に飛んだりと複雑な構造。10代の子たちはきちんと理解したのだろうか。
世代が違えば、とらえる感覚もかなり違うのかもしれない。理屈抜きになんなくわかっていたりして。
文字の挿入がおもしろい。瞬間だが漢字なのでなんとか読める。全然違うが、サブリミナル効果風。
心をひらく勇気や、とにかく生き抜くんだと、訴えているのだろうか。
謎が多すぎる。それでもなにかしら惹かれる不思議な作品。(2000.2)
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| 進化したMD環境 |
パソコンとMDをリンクして曲編集、タイトル入力などを操作できる、ポータブルMDを導入。これは画期的な進化だ。
旧MDは、小さな液晶を見ながら目的の文字が出てくるまで、ボタンを押しつづけるのが面倒で苦痛だった。
キーボードならすぐなのにとため息をついていた。
それが今では、ネット上の曲名一覧から、コピー&ペースト!
他にもライブラリやラベル印刷など機能充実。これは久々にモトがとれるいい買い物で大満足。
必要以上の家事の電化などにはシビアなのだが、どうも趣味系だと、すんなり納得してしまう。 かなり不公平かも。(2000.2)
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| 100万本の薔薇 |
もういらなくなった大量のカセットテープを、処分する前に少しずつ聴いている。
好きだった音たち。今もすっと入ってきて心に満ちていく。
今日の掘り出し物は、加藤登紀子の「100万本の薔薇」。
彼女の、深く包み込む声がとうとうと歌い上げるストーリーは、まるで映画のよう。
貧しい絵描きが、旅の女優のために画材を売り払い、真っ赤な薔薇を広場いっぱいに敷き詰める。
朝、女優は窓の外の一面の薔薇を見る。 どこかの金持ちの悪ふざけだと思いながら眺めている。 やがて女優はまた旅に出て、華やかな生活を続ける。
絵描きにとって、女優が薔薇を見ているシーンを、思い出すことが、至上の幸福だった。
こんなきれいな透きとおった愛が、世界のどこかに残っていてほしい。(2000.1)
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| 記憶のかけら |
幼い頃、屋久島に住んでいた時期があった。
そこは子供にとって最高の場所だった。れんげ畑も森も、沖にうっすら種子島が見える海もあった。
真っ黒に日焼けして、釣りざおや虫取り網を持ってはしゃいでいた。
まぶしい太陽とまっしろな雲、くっきり赤いハイビスカス、おっとりと流れる時間。
ただ、小学校の朝礼は苦手だった。
なかなか終わらない校長先生の話がつらかった。
愛読していたSFの影響か、大人になって今を思い返している光景を、繰り返し想像していた。 大丈夫。今はきついけど、ぜったいに思い出になるんだからと。
デスクットップを森の木漏れ日に替えて眺めていたら、光のむこうから記憶が浮かび上がった。
2000年。時代はどう流れていくのだろう。
これからの子供たちは将来どんなことを思い出すだろうか。(2000.1)
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| ボーダー |
幼稚園受験殺人事件。いや、本人はこの動機を否定しているらしい。
原因は他にもあるのかもしれない。
しかし、自分の子供と同じ歳の子をなぜ・・・。
痛みを自分に引き寄せて考えないのだろうか。
日々重なるストレスがあったとしても、その一歩は普通は踏み出さない。
不満や怒りをストレートに暴力という形で出していたら、社会は崩壊してしまう。
道徳心、良心がブレーキをかけなかったのか。 今、どう考えているのだろうか。
小さい命は、これから成長していろいろな体験をするはずだった。
その可能性をを断ち切ってしまった彼女。
夫や子供たちの将来もまた汚してしまった。
そのボーダーさえ越えなければ、何も起こらなかった。
しかし、意外とすぐそばにあって、ちょっとしたきっかけで越えてしまうのだとしたら。
恐怖で背中がぞくっとした。(1999.12)
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| 情報の加工 |
ある雑誌の記者からメール。
内容は、介護特集を組むので、介護体験についての回答依頼とサイト紹介の
可否を問うものだった。
企画のタイトルにサラリーマンと入っていたので、該当しないのではとメール
してみた。 特に限定しないとのこと。それなら誰かの役にたてるかもと、いくつ
かの質問に数行ずつ返答した。
もしも違う視点が必要なら、書き直しますと言葉を添えた。
そのまま時間が過ぎ、今日店頭でその雑誌をチェック。
うわ。 またやられたと思った。 数年前にも地方新聞の小さな取材で体験したこと。
こんなこと、書いてないのに。全体のニュアンスもなんだか生意気そうにとれる。
それに年齢が勝手に決められていた。なぜか3歳若い。
5年間の介護が、4年と書かれている。
ほんの数行の記事でも、本人にとっては大問題。都合よく加工してほしくない。
後味悪いなぁ。(1999.11)
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| 生命の重さ |
知人の息子さんの生命の火が、消えてしまった。
彼は脳性まひを患っていたが、両親の大きなあたたかい愛につつまれて育った。
まわりの人々の優しさに支えられて生きてきた。だが、突然迎えた目覚めない朝。
母である知人の言葉。
私がそばにいたので、こわいとか、苦しいとか、そういうことはなかったと思う。
ずっと赤ちゃんのままの身体でいて欲しい。
最後の日をたくさんの人々に見送ってもらいたい。
この3つの願いが、すべてかないました。
そう、ネットで突然の訃報を知り、とても多くの人々が彼の死を悼み、涙を流した。
私は棺に添える花を持ったが、彼の顔を一瞬しか見ることができなかった。
母の記憶とかさなり、胸がふさがり目をそらしてしまった。
生命を奪う見えない力が憎い。くやしくてたまらない。
彼女たちのグリーフワークはこれからはじまる。私は、まだ終わらない。(1999.10)
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| 卒業 |
4年半前に放送大学に入学。今学期125単位をクリアした。
必要なのは124単位だったが、一科目で3単位の必修科目もあったため、一個おまけ。 スクーリングの必要単位は20。これは今学期にギリギリでクリア。
全国化開始の過渡期だったための苦労。
それまでは、関東のセンター所属でなければ、卒業できなかったのだ。
で 、そうすると地元でのスクーリングは受けられない。
関東まで行ったツワモノもいるが、そこまではね。
私の場合は選科履修生として1年すごし、39単位(スクーリングが9単位)取得。
そして千葉センター(大学本部)所属の全科履修生に変更。
試験は、その都度変更届を出し、地元で受けた。
昨年10月より全国化。同時に地元所属に変更。
スクーリングを11単位取得し、残りの必要単位もクリアして、この度めでたく卒業。
9月25日、地元で行われた初めての卒業式。なんと卒業生4名。
貴重な体験。あっという間に終わっちゃうし。
欲しかった「大卒」。これをどう生かすかが、これからの課題。うーむ。前途多難。(1999.10)
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| わかってほしいから |
在宅介護体験談の感想やリンク依頼のメールが届く。とてもうれしい。
決してデジタルなだけじゃない、インターネットのアナログな一面を感じる。
たまに、最後を読んでくれていないと思われるメールがまぎれこむ。
在宅介護は今も継続中という前提で書いてある。
これは困惑したり、現実を認識してつらくなったりする。
できることなら、まだまだ続けたかったから。
思いついて、表紙にひとことつけたすことにした。
認めたくないけれど、これが現実。(1999.9)
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| RICKY MARTIN |
CSのビデオクリップをながめていたら
なんだか、ドキドキするほどいい感じの曲が!
ストレートに飛び込んでくるような、乗りのいいリズム。
その後、その曲「Livin'La Vida Loca」は歌番組のランキングにも入るほどヒット。
調べたら、彼は去年のワールドカップのテーマソングも歌ったらしい。
プエルト・リコ生まれの27歳。
かなり前にMenudoという少年グループにいたけど、当時は小さくてめだたなかったとか。
いまや185cmのナイスガイ。
Livin'La Vida Locaはバラード調など、いくつかバージョンがあるらしい。
ぜひ、聴いてみたいけど、ショップとは縁がないし。
ただ流れてくるものを聴くという状態なので、運にまかせるしかない。(1999.8)
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| 写真にうつるもの |
デジカメを持ってでかけてみた。
さて何を撮ろうかと見まわすと、景色が自己主張をする。
風にそよぐ木、いろんな人のためいきや夢を知っているようなベンチ。
水のみ場の存在感、 すべてによりそう影、橋の上の薄いひこうき雲、 庭先の
花たち。
私の気持ちもうつったかな。(1999.5)
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| 水の音楽 |
スカイパーフェクTVのクリアなサウンドをMDに録って、部屋や車のBGMに
している。
このまえ手に入れたのはとっておきの透明な響きたち。
これは最高。
神山純一の曲で、自然の音を素材にほんとうに美しい旋律が流れる。
水色の幻想・水の風景・水のゆりかご・水のアダージョ・静寂の白い森・・・
今も聴きながら書いている。
うーん、気持ちがすーっと素直になっていく。(1999.5)
|
| 解けた謎 |
知りたかった曲名は「指でさようなら」だった
グループではなく、谷口 崇という25歳の 素朴な感じの若者。
ちょっとイメージがちがったなぁ。
アルバムを聴いてみた
歌詞が多い。ことばの選び方はけっこう好きだ。
ほんとに声が高い。中性的。
うーん。でも 見つけた掲示板で彼のことを、「谷やん」って呼んでた。
なんか、ちがうかなぁ。(1999.4)
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| 心にひびくメロディ |
ちょっと変わった曲が好き。
声は高めのも、低くてブルースっぽいのも好き。
からっと明るいものよりは、 せつなさやもどかしさをうったえる歌。
今、好きなのにタイトルもアーティスト名も不明の歌がひとつ。
「15年がすぎたような一日」とか、「どこまでも君をつれて逃げるだろう」などというフレーズ。
あまりメジャーではないのか、自分のMD以外では聴く機会がない。
彼らの他の曲にも興味があるのになぁ。(1999.3)
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| ムチ打ち症 |
暮れに、4トントラックに追突されてしまい、通院で治療をつづけている。
首が重く、腕をあげるとすこししびれるが、日常生活に支障がでるほどではない。
ネットや本で調べてみたが、ムチ打ち症に対する扱いがひどい。
確かに、悪質な被害者はいるかもしれない。
でも、ほとんど決めつけるように、書いてあるものがある。
これでは、ごく普通のノーマルな被害者は、いわれのない疑いにも泣かされる。
ムチ打ち症の研究をすすめて、きっちり症状をはかれるようにしてほしい。
(1999.1)
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| 前に進む |
その領域はわたしにとって神聖なものであり、心のなかに存在し続ける。
だけど前に進む。いつでもふと、そこに戻れるし、じっとしていてもいい。
原点。生み、育ててくれたことに対する感謝はいいつくせない。
まだ納得はできていないのだけど、前に進もうと決めた。(1998.10)
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| 喪失 |
6月、母が急逝してしまった。
いのちが消えてしまうのを見届けても、棺が灰になってしまっても、まだ信じられない。
現実に起きたことと思うことができない。(1998.8)
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| 楽しいバイト |
ひょんなことから、妹がしていたバイトがまわってきた。
文字中毒の私には、願ったりの仕事。要するに検索して拾っていくのだ。
こりゃぁパソコンなら一発なのになぁとか思いながらも、対象の内容がけっこうおもしろくて為にもなる。
あくまでもバイトなので、ウィークデイを全部捧げてはいないけど、自分の時間は確実に侵害されている。
まぁ家の掃除の手抜きや、メールがたまるといった程度だけど。
まだ始めたばかりで落着かないけど、そのうち時間配分にも慣れるだろう。
仕事をすると新しい出会いもあるわけで、新しい人間関係が始まる。
オトクな情報など手に入れたりもできるという、うれしい効果がある。
視野も広がるかな。
ネットサーフィンとはまた違う現実世界での広がり。(1997.9)
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| 新しもの好き |
そう。私はこれは!という情報には飛びついてしまう。けっこう後で苦労したりする。
でもアタリの時もあるわけで、学習できないという進歩のないヒト。
なーんかもったいぶってるけど、要するにIE4.0のこと。
英語版ではめずらしく踏みとどまったのに日本語版ではもうがまんできなかった。
それも予定の一日前にもう出ているという情報をつかんだのでこれは落とすしかないっしょ。
3D時計やガラッと変わったデスクトップにしばらく満足していた。
不具合報告は相変わらずだったけど快適に使えていた・・・のにある日を境に問題がいろいろと。
シェアソフトなどせっせと入れたりしているから原因ははっきりしない。
削除しても障害が残りそうなのできれいさっぱりFDISKで大掃除。
今は新たにIE3.2を入れ、他のソフトもPDから解凍して元の環境に戻して快適。
こんなことならじっくり待てば良かった・・・なーんて私は思わない。懲りないヒトなのだ。(1997.5)
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| 母の愛情 |
駅前を、母娘が歩いていた。
小柄な母親が、自分よりずっと背の高い娘に、傘をさしかけて歩く。
腕をのばしてやっと、娘の頭のすぐ上に、傘が斜めになっている。
母は娘にしてあげるのがうれしくてたまらないという、とてもいい顔をしている。
信号待ちの車の中からふと見た光景が、ぽっと心を暖かくしてくれた。(1997.1)
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| お引っ越し
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ひとは、自分の居場所にいつのまにか根をおろしているのかもしれない。
玄関の方向、ドアの位置、身の回りの物の置き場所。
朝起きて顔を洗い食事して・・・その流れが身体にしみついている。
だから旅行は新鮮な気分をあじわうことができる。
しかし引っ越しとなるとちょっと違う。
とりあえず期限が無くて、元の環境にはもう戻れない。
新しい家に慣れるまで違和感が空間に漂う。どこかよその家に来ているような。
B そして無意識に可能なものは以前の環境を復元しようとしてしまう。
B ある期間を経て、しっくり自分のものになったとき、気持ちの引っ越しがやっと完了する。(1996.10)
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| よかった探し |
少女パレアナ、そしてそのアニメ版のポリアンナは素敵。
どこにでもどんなときでも、探してみると 「〜でよかった」がきっとみつかる。
彼女の周囲の人々も影響されて、上手に探せるようになり、かたくなな心がほぐれて幸せになっていく。
そう、どんな逆境も、気の持ちようで耐えていくことができる、いわゆるプラス思考。
コップに半分入っている水をまだ半分ある!と喜ぶ考え方。
なんだかブルーでつまらない気分の時に、ふと思い出すと元気になれる。
今、ここにいる。 宇宙の中に浮かぶちっぽけな地球の一点に存在している。
私はたったひとりの私。 他の誰でもない。
奇跡のような事実。(1996.9)
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| ガラス細工 |
ひょいっと軽い。
底のガラスは、はかなく薄くて、息をふきこむとへこんだりでっぱったり。
びいどろ。 ちゃんぽんともいうらしい。 のんきな音が響く。 ぽこん。ぺたん。
昔集めていた切手か図画の教科書の浮世絵。
切れ長の目の昔の女の人が、これを吹いていた。
透明なガラスが好き。 びー玉も、小さな犬や猫のガラス細工も好き。
みつめていると、不思議な感じがする。
なにかが透けてみえる。 それは未来か過去か。
それとも、誰も知らない異次元の世界が、ふとうつって消えたのかもしれない。
ひんやりと冷たくて、だけど手のひらのぬくもりが伝わってあたたまる。(1996.8)
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| 待合室の親子 |
それはある日の午後だった。
小さな病院の待合室に、幼児を連れた母親が入ってきた。
棚の絵本をとって、並んで腰掛けた。
そして、まるで自宅にいるような感覚で、読み聞かせを始めた。
ゆっくりと大きな声で。しかしそこは家ではなく病院なのだ。
順番を待ちながら、否応なしに絵本を読む声を聞かされる他人のことは、母親の意識にはないのであろうか。
読み聞かせは、子供の情緒を豊かにする行為である。
しかし、それは家庭もしくはその目的のための場所で、為されるべきだ。
図書館でその状況に遭遇したこともある。
児童コーナーであっても、周囲には読書に熱中している小学生がいる。
せめて声を落として、我が子にだけ聞かせるべきではないだろうか。
これはひとつの暴力といえるのでは。(1996.4)
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