※母の闘病生活は平成10年6月25日に幕を閉じました。これは10年4月までの記録です。

在宅介護って言葉は
新聞やニュースで聞くだけで全く意識してなかった
けれどある日突然倒れてしまった母
病院か家か

私たちは家を選びました



年齢
昭和8年2月生まれ 64歳
発病した日
平成5年10月5日 当時60歳
病名
脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血
手術
クリッピング VPシャント LPシャント 気管切開 胃瘻
意志の疎通
不可
障害
右片麻痺 要全介護
食事
流動食を胃瘻にて摂取
排泄
紙おむつ使用  ポータブルトイレも用意
移動
リクライニング車椅子(介護用)
ベッド
エアマット使用


INDEX
母が倒れた退院までの出来事病院から自宅へ手探りの介護ストレス ひらめき
作戦実行への道 母の入院病院から病院へ引越し 新しい生活 受け入れ準備
二度めの挑戦工夫する 役に立つ経験自分の人生 病院を変える 大風呂とレクリェーション
訪問歯科 シャントの追加また引越し環境の変化胃瘻 胃瘻ポケット
NHK 帯状疱疹床擦れ 救急車 在宅酸素夫の災難
またまた引越し妹の出産


母が倒れた

はじめに運ばれた市立病院では、処置ができないと言われ、二時間後にまた救急車で、市群医師会病院へ。
医師会病院で、すばらしい先生に恵まれ命をとりとめた。ひと安心。
しかし母は、人工呼吸器やさまざまな管がつけられて眠り続けていた。
植物状態と説明される。「心を鬼にして刺激を与えてください」と、先生に言われ、 手や足をつねると、かすかに目を開けるようになった。
すこしずつ、ほんのすこしずつ反応がでてきた。あぁ、母はがんばって生きようとしている。
私たちがついていたらきっとよくなる。きっと治してみせると勇気がわいてきた。やがて一般病室に移ることができた。
往復一時間半かかる病院までの道のりが、今日はまた新しい反応があるかもしれないと、楽しみになった。

退院までの出来事

高気圧酸素治療を受ける為に他の病院に一時転院。
一ヶ月半後、元の病院に戻った。
ソーシャルワーカーより、老人病院への転院を薦められる。
断り、在宅で看た いと主治医に相談。父が無理だと反対していたため、家族で意見が分かれていては家に帰すわけにはいかないと言われる。
父を説得(泣き落としとハンスト)
父から主治医に改めて頼んでもらい、往診やリハビリの体制がとれるなら、と許可が出た。
近所の内科に往診を、隣市の市立病院にリハビリを依頼した。
退院にむけて希望の日々。刻み食を飲み込めるようになり、鼻の管がとれた。婦長さんや看護婦さんたちに感謝。

病院から自宅へ

先生や看護婦さんに見送られて帰る。
途中で、頼んでおいた歯科医院に寄り、ぐらついている歯を一本抜いてもらう。
入院中から気になっていたが、歯科がなくてそのままになっていたのだ。
自分で口を開けることができないので、一苦労だったが、やっと抜けた。
家につき、父とふたりで抱えてベッドの上へ(社協から貸与された手動式の背上げベッド)
私はそれまで休んでいた仕事を正式にやめ、母の世話をはじめた。
週二回の外来リハの日は父も休み、いっしょに車で連れていった。
でも連れて行くだけで、家にいても母の世話を手伝ってくれない。

手探りの介護

一時転院した病院で、軽い床擦れができていた。
ドライヤーで乾燥させたら、だんだん小さくなり治っていった。
朝、母のオムツを替え、父・夫・長女のお弁当と朝食。
そして母の分を、包丁で細かく刻んで食べさせる。
みんなが出かけたあとも、まだ母の食事は終わらない。口にためていて、なかなか飲み込まない。 くしゃみでまわりに飛ばしたりする。泣きたくなる。
2時間近く続けて、オムツを替えて洗濯などしていると、もうお昼。
また時間をかけて食べさせる。
下痢をして汚れたシーツを替えたり、リハビリの真似事などしているとすぐに夕方になる。
入浴は週3回夫に手伝ってもらい、ふたりで抱えて湯船にいれる。
たまたま入居時に、お風呂とトイレを新しくしていて良かった。
浅くて長いタイプなので入れやすい。
オムツが濡れていないときはトイレまで抱えていって座らせたりした。

ストレス

家事と母の世話、小学生と中学生の娘たち、父と夫。
もともとは同居していたわけではなく、すぐ近くに実家がある。
父は実家での介護を希望したが、どう考えても私たちの家で看た方が効率的だし、父にもこちらで生活してもらうことにした。
しかし、必死で母の世話をしているすぐ横で、のんびり新聞を読んでいたりされると、思わずキレそうになる。
私は仕事を辞めるしかなく、自分の時間もなくなったのに、他の家族はほとんど変わらない。
望んで在宅を選んだけど、こんなはずじゃなかった。
看護婦さんたちの大変さが、身にしみた。
涙もろくなり、ヒステリックになり、私は落ち込んでいった。
だけど母はとてもいとおしい。守りたい。

ひらめき

このままでは、私はだめになってしまう。肉体的にも精神的にも、もたない。
福祉は県によって、差がはげしいとわかった。
ここには脳外科がなく、リハビリ施設もない。
妹が住む隣県に良い病院があった。NHK出版のリハビリの本で知った。いっそ引っ越したい。
実はもともと静岡県で生活していた私たち家族は、私の両親の近くにきて二年なので、この土地には何の未練もない。
息がつまりそうな生活から、もっと都会(ここよりは)で、病院もたくさんあって、福祉も充実していて、妹にも会ってグチをこぼせる場所へ移りたい。
家族に提案してみた。しかし、そんなことできるはずがないと笑われた。
彼らは現状でなんら不満はなかったし。

作戦実行への道

母を車椅子に乗せてそばに連れてきてかたっぱしから電話。
県や市、そして例の本に出ていた病院。
しかし住宅関係も福祉も、「とにかく県民か市民になってから」と冷たい。
けれど本で知った病院の、ソーシャルワーカーMさんは違った。
私は天使に出会ったように感じた。
いきなり、しかも他県からの相談に、丁寧に教えて下さり、追いつめられて尖っていた私は素直な気持ちになり、事情を説明しながら涙がこぼれていた。
不可能ではないと、励ましをもらい、いよいよ実現に向けて具体的に動き出した。
実家は残して私たちの家は売ることにした。
妹に、むこうの住宅情報を送ってもらい、Mさんに電話で、近辺の地名を聞きながら探した。家賃の相場なども。
しかし、ここでまた難関。
他県からの、しかも女の声での問い合わせに、不動産屋は冷たい。 会社契約希望だからとか、もう決まったと連続で断られる。
「犬を飼える家」という条件もネック。

母の入院

このころ母は、飲み込みが以前より、更にできなくなっていた。
病院に電話で聞くと、頭のボタン(シャント)を押す回数を増やすよう指導されたので、実行。食欲の低下も心配いらないと思い、ひたすら栄養のために、スプーンで口に入れて、飲み込むよう促していた。
けれど母の目の感じが、前と違う。身体にも力がないようだ。
内科の先生に往診を頼んだ。
原因はわからないが全身状態が落ちているので、医師会の診察を薦められた。とりあえず点滴をしてくださった。
父に連絡し帰ってきてもらい、母を病院に連れていった。
大丈夫だと思いますが一応検査しますとのこと。
「どうですか在宅は大変でしょう?」と、軽い調子で話す先生。
しかし、肺のレントゲンの結果、嚥下性肺炎だとわかった。
なぜ?内科の先生も、脳外科の先生も診断つかないなんてと意外だった。
あとで老人や脳疾患の場合、症状が出ずに悪化する肺炎と知った。
私は脳の問題とばかり思っていたので、びっくりした。
食事が逆効果だったと悔やんだ。母はまたICUに入ってしまった。

病院から病院へ

やがてICUから一般病室に移り、すこしずつ回復してきた。
ただし、また鼻に管が入っていた。
その時点では、肺炎はこわいから、この方が安全で安心だと思った。
父と交代で病院に行くことにして、家にいるときは電話や荷物の整理。
やっと家が決まり、今まで住んでいた家も売れた。
その手続きに学校の転校手続き、処分するものの仕分けと目がまわるような忙しさ。けれど希望があるので楽しかった。
子供たちの学校の関係で夏休みに引っ越したいが、母はまだ退院できる程に回復していない。
病院に頼み込み、県をまたいで転院することになった。
ただし、搬送用の救急車は、県外は使えないとのことで、自家用車しかない。私が運転して、父が母をささえて行くことにした。

引越し

とりあえず私と娘たちが先に行くことに決めた。
父と夫は、8月いっぱいまで仕事 をして退職することにした。もちろん夫はその後いそいで職さがしの予定。
日曜に引越し便を手配して全員で行き、大体の配置をしてとんぼ返り。
実家にしばらく住み、母の病院に通いながら、転校手続きなど済ませた。
終業式の翌日、娘たちと3人で新居(借家だが)に移り、市役所や学校の手続き。
隣の奥さんに、今夜一晩子供たちだけなのでお願いしますと声をかけて、実家へ。 翌日の早朝、父と病院へ。
母を乗せて、転院先の病院へ。渋滞もほとんどなく、無事に着いた。
父は仕事があるので、高速バスで帰った。

新しい生活

家と病院は、思ったほど近くはない。車で20分以上。
それでも、やっと見つかった家なのでよしとする。
妹の家からは40分くらい。渋滞だとそれ以上かかってしまう。
だけどこの市には活気がある。
それに、ずっと以前に住んでいたところでもあるので、懐かしい。
今度の家は小学校、中学校、県立高校にかこまれた住宅地にある。
田舎のムラ意識とは無縁の土地。
母も順調に回復しているし、何もかもうまくいきそうで最高の気分。
さぁ、この恵まれた環境で、母の意識レベルを上げようと決意を新たに。

受け入れ準備

退院後の用意を、始める。
Mさんが、老人日常生活用具の、給付手続きをして下さった。
障害者手帳でも取れるが、今回はこちらを使うことにした。
電動ベッド、エアマット、シャワーチェアー、車椅子。
吸引が必要なので、コンパクトな吸引機を、病院を通して購入した。
看護婦さんに、使用法を指導してもらった。
近所の内科に、訪問診察を依頼。
毎週一回、来ていただくことになった。
偶然にも、そこの娘さんたちが、うちの娘たちと同じ歳だった。
訪問リハと訪問看護の病院も決まった。
すべて用意が整い、9月にめでたく退院できた。
父と夫もこちらに来て、やっと家族全員がそろった。

二度めの挑戦

前回の在宅介護の時は、知識も情報もなかった。
肺炎なんて、疑いもしなかった。無知が招いた危機だった。
しかし、今度は違う。自分なりに情報を集め、福祉の支援体制も万全。
仕事を辞めた父と、時々来てくれる妹の協力もある。
もう、一人で抱え込んで、苦しまなくてもいいのだ。
これは母にとっても、とても良いことだと思う。
余裕のある介護の方が、気持ちいいに決まっているから。

工夫する

訪問看護時に、入浴もさせてくれる。
来られるのはひとりなので、彼女と私で、母を抱えて入れる。
ふつうの、つまり深い湯船なので、腰にかなり負担がかかる。
浴槽の縁に一旦座らせたいが、幅が狭くて無理。
縁台を買ってきて、夫に同じ高さになるように脚を切ってもらい置いた。
風呂場の床は、水はけを良くするために少し傾斜があるらしい。
斜めになってしまったので、また調整してもらった。
浴槽とぴったり同じ高さでないと、ずれて皮膚を挟んだりしたら大変。
アプローチから駐車場への石段には、板製手作りスロープ。
各部屋の敷居の段差用に、角棒を対角線で二つに切って角を削って置いた。 シャワーチェアでの移動が、とてもスムーズになった。
私がアイデアを出し、夫が製作担当。

役に立つ経験

むかし美容師見習いだったので、自分で母のカットや顔そりができる。
短期間だが耳鼻科で働いたことがあり、清潔観念や器具や薬の扱いが少しは身についていると思う。
好奇心旺盛で本が大好きなので、介護関係の資料を読むことが苦にならない。
娘ふたりを育ててきたこともプラス。「溶けにくい薬の攪拌には、蓋付き哺乳瓶がぴったり」などひらめいた。
娘たちが小さい頃は、市販の型紙で子供服を手作りしていたので、母のパジャマのズボンをほどき、全開できるように、ファスナーをつけたりできる。ただし自己流。
今までしてきたことは、ぜんぶ母のためだったような気さえする。

自分の人生

関東に住んでいる弟が、母が倒れる少し前に自分が始めたパソコン通信を 私にも勧めていた。
ワープロを持っていたのでその気になり、モデムを注文していた。
母が倒れてから届いたが、時間がなくてサインアップもしていなかった。
このころ、自分の時間がとれるようになり、本格的に始めた。
まずNIFTY。母のための情報を探した。
医師に質問メールを出して、返事が届き、これはすごいと感動した。
草の根BBSの存在も知り、さっそく入会。会員に会いに行ったりして、世間がひろがった。 
放送大学に入学。仕事は辞めたが、自分の生きがいをなにかつくろうと思った。

病院を変える

草の根ネットで知り合った会員の情報で、外来リハと訪問看護をしてくれる病院を知る。
迷ったがMさんに会い、相談したら快く了承してくれた。
Mさんとその病院のおかげで引越しが実現したのだが、母にとって外来リハで、機械を使ったリハビリを受けることは、とても効果的。
Mさんは嫌な顔ひとつせず、患者が病院を選択するのは当然ですよと言ってくださった。ほんとうにこの方に巡り合えてよかった。

大風呂とレクリェーション

新しい外来リハのPTが、とても元気。
お年寄り中心の病院で、母にもこまめに声をかけてくださる。
目の反応が、よくなった気がする。
今度の訪問看護は、二人来られるので、私は大学に行ったりと動きやすくなった。
しかし、しばらくしてまたいい施設を見つけた。
デイサービスセンターで温泉のような大きなお風呂に、つくりつけの椅子型リフトでそのまま入れる。
ゆったりと入浴させたあと、他の方の歌やゲームを見学できる。
母はデイサービスの対象ではないので、自分たちで連れて行き、横に付き添ってレクリェーションに参加して、また連れて帰る。
外来リハは継続し、訪問看護を中止した。
内科的ケアは、週一回の訪問診察でまったく問題なし。

訪問歯科

保健所の女性対象の無料検診に出かけて知り、さっそく申し込んだ。
対応が早く、すぐに来て下さった。
初回は歯科医もきて、ていねいに診察してくれた。
週一回、歯科衛生士が二人来て、歯磨きや口腔マッサージをしてくださる。
まだ管での流動食摂取だが、プリンなどを飲み込む練習を、少し前から始めている。
気管に入らないように、少し前かがみで口に入れるのがコツ。

シャントの追加

脳から腹腔へのVPシャントが入っているが、通院している脳外科の先生に、脊椎から腹腔へのLPシャントを追加すると、効果があるかもしれないと、薦められた。
NIFTYでも質問してみたりして、迷ったが、おまかせすることにした。
しばらく入院して、手術はうまくいった。
二本入っていれば、もし片方が詰まっても、大丈夫だ。
母の脳が、自力で脳圧を調整できるようになって、両方とも抜ける日が、くればいいな。

また引越し

家主さんが、子供さんの学校のこともあり、戻りたいとのことなので、急遽引越すことになった。
猶予期間はあったが、うちの次女も来年受験なので、早めに転校して新しい中学に慣れる必要があったので急いだ。
ターゲットは、かかりつけの脳外科がある病院や、妹の家に近いところ。
そして、少し狭いが条件にピタリの家がみつかった。静かなところで、駅や中心街に近く、病院にもすぐに着く。
犬もOK。二階にもトイレがあるところが気に入った。
11月の末に引っ越した。母は前夜から当日にかけて一晩だけショートスティを利用した。荷物はそのままにして、とにかく母のベッドまわりを優先的に整えて、迎えに行った。

環境の変化

市内間とはいえかなり離れているので、外来リハ、入浴ともに新しいところを探し、引越し前に連絡し決めておいた。
新しい訪問診察の先生に、これまでと違う種類の流動食を勧められた。
母は無料でもらえる流動食は、合わずに下痢をしてしまうので、森永のMAエイトという流動食を直接買っていた。
それで別の種類で、保険がきくものを紹介して下さったのだ。
ところが母が黒い痰を出した。
環境の変化のせいで、胃が炎症をおこしたとの診断。3日間絶食し、薬と水分 のみ。すぐによくなったが、流動食は慣れているものに戻した。
住む家は無理だが、とりあえず食事だけでも、今までと同じ環境に。

胃瘻

NIFTYで見かけた嚥下リハビリの本を注文して購入。
今使っている留置型ではなく、食事の度に挿入する管が記載されていた。
脳外科で相談したら、もっと良いものがあると教えてもらった。
お腹の外から、胃に直接穴を開けて管をとおす方法。交換時期は3ヶ月くらいだという。
怖いような気がしたが、詳しく説明を聞くと、とても良さそうだ。
手術の予約をして帰った。 数日後ベッドが空き、入院した。
退院後も毎日消毒した。 はじめはおそるおそるだったが慣れると平気。
何より顔がすっきりしている。 鼻の固定テープが要らないし、交換時の喉の不快感からも開放。
嘔吐もなく管理が簡単でいい。嚥下の練習が進むような気がする。

胃瘻ポケット

胃瘻の管は30cmくらいで、けっこう下腹部にある。 おへその近く。
くるくる巻いて、テープで固定するのだがどうしても取れてしまう。
オムツカバーに近いので、不潔になってしまう。そこで考えた。
たまたま使っていないメッシュのアイロンあて布があったので、ポケットの形に縫ったものを、着付け用の帯締め?に縫いつけた。
これは、呉服売り場で用途を説明したら、出してくれた。
お腹にまいて位置を合わせ、くるくる巻いた管を入れるだけ。
リハビリや移動時に心配しなくて済むようになった。

NHK

訪問歯科の様子をテレビで紹介するにあたって、母が利用しているところを撮らせて欲しいとのこと。
テーブルクロスを新調したり、いつもより念入りな掃除をした。
常にそばにいるのは父なので、私は二階にいた。
NHKの方たちが準備をはじめたが、歯科衛生士はまだだったので、お茶をいれようと下に降りたら、なんとテーブルで父のインタビューを撮影中だった。音をたてないようにまた二階に戻った。
おはよう日本で、九州地区だけの放送。4月28日7時35分頃とのこと

帯状疱疹

背中に湿疹ができたが、あせもだろうとそのままにしていたら、黒いかさぶたがいくつもある。
以前写真で見たことがある帯状疱疹かもしれないと思った。
気がついたのはタイミング悪く、土曜の昼前だった。数カ所電話して、だめもとで脳外科でかかっている総合病院にきいてみた。ただしそこには皮膚科はない。
事情を話すと、とにかく連れてきて下さいとのこと。
内科の先生がすぐ診てくださって、入院して点滴を受けることになった。
やはり帯状疱疹だった。きちんと治療しておかないと神経痛が残ってしまうとのこと。

床擦れ

内科には一週間入院した。背中や脇の水疱はすっかりきれいに治った。
しかし、お尻に床擦れができてしまっていて驚いた。
たぶん家ではエアマット使用だし、おむつ交換もきっちりできるという差だろう。
しかしみるみる悪化してしまい、皮膚科へ。
ドライヤーで乾かしてみたりしないで、もっと早く連れて行けばよかった。
かなり前にその方法で治ったことがあったので、つい遅れてしまった。皮膚科でもらった塗り薬を毎日塗った。
尿とりパットを適当な大きさに切り、まわりにテープを貼って患部に当てた。
ガーゼでは、尿がしみて悪化しそうだったから。

救急車

夕方突然呼吸がおかしくなった。
いつも訪問診察してもらっている内科の先生に来てもらった。
携帯の酸素量測定器で測ったら、少し低下していた。
はじめは先生は様子をみようといわれたが、ぐったりしているし身体に触るといつもより体温が低いようなので、心配ですと訴えた。
そのうちに動脈血をとろうとしても、なかなかとれないし、やはり救急車を呼びましょうと、先生が直接病院と消防署に電話してくださった。
酸素吸入で落ち着いたが、夜間に酸素量が足りなくなっているようなので、その間だけでも在宅酸素をしたほうがいいといわれた。

在宅酸素

内科の診察だけで在宅酸素がはじめられると、簡単に考えていたが甘かった。入院してデータをとる必要があるとのことで、そのまま入院することになった。
また床擦れになっては困るので、婦長に相談して、家からエアマットを持ち込んだ。4日間入院。
退院時にメーカーの方が一緒に家にきて、設置と取り扱い説明をしてくださった。
フィルター掃除と精製水を毎日チェック。週に一度フィルター、精製水容器、カニューレを洗う。操作が簡単なので安心した。
ただ、65歳未満なので自己負担が月3万ほどかかるのが痛い。
しかし夜間にストンと酸素量が落ちるとわかった今は、絶対必要だし、顔色がよくなった気がするのがうれしい。

夫の災難

夫が転職したばかりの職場で大怪我。救急車で運ばれた。
左足の脛を骨折し、踵の骨は砕けた状態。それと大腿部の裂傷。
歩けなくなるのではと、目の前が暗くなる思いだった。でも夫自身の心のケアが心配になり、私がしっかりしなければと考えなおした。
数日後手術。腰骨を一部削って踵へ。金属のピンを二本埋め込んで固定した。脛は単純骨折だし、骨が丈夫なのでそのままつけましょうとのこと。
大腿部は運ばれてすぐに、縫合されていた。
幸い、時間はかかるが、歩行には差し支えないそうだ。爪先立ちや跳ねるのは無 理らしい。
ただ、退院後もしばらくは松葉杖で、リハビリが必要。

またまた引越し

今借りている家は、一階はダイニングが広く、8畳の和室が一部屋だけ。半分をフローリングにして、母のベッドを置いてある、両親のスペース。
私たちは二階を使っているが、夫には階段はしばらく無理。
一階のソファーをどかせば夫のベッドを置けるが、父が介護をする横での安静生活は、お互いストレスがたまりそうだ。訪問歯科など、来客もある。
まだ1年しか住んでいないが、また引っ越すしかない。
はじめは、平屋で二世帯住める家をさがしたがみつからない。入院も3ヶ月になり、そろそろ退院なので、あせった。
もう、平屋を二件か、平屋とアパート一階などに別れて住むしかない。奇跡的にすぐ近くにみつかった。かくして母が倒れて3度目の引越し。
お互いが近いので、夕食は散歩を兼ねて、母を車椅子でつれてきて、みんなでいっしょに食べることにした。
朝、昼食は別だが、父は料理が得意なので、かえって張り切っている。

妹の出産

妹が念願の妊娠。来春生まれることがわかった。
私が長女を産んだときは、母が静岡まできて一ヶ月いてくれた。次女のときは、長女をつれて私が実家に行った。
でも今は・・・。
私たちが住んでいるのは3LDKのアパート。親子4人で今でも狭くて、レイアウトに苦労している状態なので無理。
父と母が住む家は、3DK。父は料理が得意。
末っ子の妹は何の抵抗もなく、そこで産前産後をすごすことに決めた。
昼間は私も母のそばにいるし、赤ん坊の声は母への刺激にもなるだろうし、父も張り切っている。
そして4月。陣痛の始まった妹を私が病院に連れて行った。
吐いたりして心配したが、無事に男の子が生まれた。
母の7番目の孫。元気だったら、きっと嬉し涙を流すよね。いつか、話せたらいいね。


在宅介護トップへもどる