<平成10年6月>

母が肺炎になってしまった。

でも、これまでにも二度のりこえてきた。

だから医者がどんなに深刻そうに説明しても、私は絶対大丈夫だと信

じていた。反論までして、その医者の診断を疑ってしまった。

集中治療室に入るのも人工呼吸器を挿管するのもいつものこと。

二ヶ月くらいで家に帰れると確信していた。

医者が、会わせたい家族を呼ぶようにと言っても、弟や妹に連絡しよ

うとしなかった。治るのだから必要ない、と思ったから。

血圧が低いまま。尿がほとんど出ない。多臓器機能不全。

でも、今に状況が変わって快方に向かうはずと、信じ込んでいた。

二日目、面会時間に母のそばにいると、婦長さんが何度も繰り返し、

母の状態について説明をしてくれたが、ぼんやりと聞いていた。

集中治療室を出て、ぼそぼそパンを齧っていたら、突然、身体中が

震える気がした。

さっき婦長さんから聞いた言葉の意味が急に浮かび上がってきた。

真実がやっとわかった。今まで逃げていたのだ。

集中治療室に駆け戻り、婦長さんに確かめた。

私が理解していないようだから心配だったそうだ。

涙をぼろぼろ流しながら、もし避けられないのなら、母を家に連れて

帰りたい。そして、みんなで送ってあげたいと、頼んだ。

それは体力的に無理と諭されたが、個室を確保して、希望をかなえ

てくれると約束してくれた。

そして、遠方から弟と妹がかけつけた時には、集中治療室と同じ状

態にした個室に、母が眠り、私と父が両脇についていた。

平成五年に母が倒れた時、すぐに来てくれた叔父夫婦(母の弟)も、

母を見守り涙を流してくれた。

母は眠っているように見えるが、何度も痙攣がおきる。

その間隔がだんだん短くなっていった。

ナースコールを押すと、看護婦さんはすぐにきてくれた。

私の娘たちは、母の足がつめたいからと、片足ずつさすってあげた。

母は、ときどき目をあける。

じっとみつめると、すべてわかっているような気がする。

ずっと意識がなかったけど、今はすべてわかっているのではないか。

夜中に、父と弟と私で見守っていたら、母とのなつかしい出来事が次々

によみがえってきた。

母に聞かせてあげたいと思って、父に私たちが生まれる前の、ふたりの

思い出などいろいろ教えてもらった。

母も夢の中で、これまでの人生をたどっているのかもしれない。


明け方、呼吸器の音にあわせてかすかに動いていた、顎の動きが止まった。





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