グリーフワークという言葉は、柳田邦男の著書で知った。
大切な存在を失ってしまった時に、悲嘆を受け入れて
癒していく作業。グリーフケアともいう。
母が倒れてしまってから、
私は家族を巻き込んで在宅で介護をしてきた。
結果的に何度も引越しをし、娘たちに責められた。
けれど、母のためにやむをえない決断だった。
これから何十年も、いつか起きるはずの奇跡にむかって
母と一緒に生きていくための選択だった。
なのに。
突然、断ち切られてしまった。
それが、くやしくてくやしくてたまらない。
まだ早すぎる。
最近では100歳まで生きることがそれほどめずらしくなくなった。
だから父に、「ふたりとも100歳が目標だからね」といつも言っていた。
まだ65歳。
母は常に診察を受けているから、かえって私たちより風邪もひきにくいはずだった。
脳の状態も良好だし、身体つきも少し太りすぎくらいで安心していた。
なんだか、とても理不尽に
前触れもなく、一番大切なものを奪い取られたような感じだ。
母を中心に今までの生活がまわっていたのに。
車に乗せるために、身体を支えた時の重みとぬくもり。
話しかけると頷いてくれた頃の、まっすぐで優しい目。
とても白くてやわらかな母の肌。
お葬式も火葬もしたけど、
どうしても、つながらない。
誰かが、すりかえたのかもしれない。
あの母の身体が、あんなにちっぽけな骨になるはずがない。
わからないまま、私が決めたことは
母の絵を描くこと。
私は遺影はもらわず、自分で描くことにした。
母のことを考えながら、少しずつ塗り重ねていく油絵。
それから、仕事は休んでいたが、結局そのまま辞めてしまった。
仕事をした方がいいのではと、引き止めてくださったが、
今は必要以上に外に出たくないと思った。
仕事の能率も最悪だろうし、迷惑をかけたくなかった。
なぜかカーテンが気になり、全部替えてしまった。
居心地をよくした部屋で、
母の絵と、同じ悲しみを綴った本と、静かな音楽に
ただ包まれていたかった。
悲嘆の癒しに関する本を読み、それぞれの過程があるのを知った。
誰に、よくやっていたよと慰められても、実際娘もその言葉をかけてくれたけど、
違う。まだしてあげたいことが、たくさんあった。
それに、いったい今まで何をしてたのだろうとも思う。
母にとって、この5年間はどうだったのだろうか。
私は、きっと10年後や15年後に、母の意識が戻るかもしれないからと、
積極的にさまざまなことを、受け入れてきた。
リハビリも母のためだから、父と車で連れて行っていたし、
最近は訪問リハビリ をしてもらっていた。
母にとってどちらがよかったのだろう。
私が母のためにしてきたことは、たった5年で終わってしまうのだったら、
もしかしたら、母にとっては何にもならなかったのではないか。
でも、あれから増えた孫たちの声も聞かせたし、
広いお風呂に入れてもらうと、とてもいい表情をしていたし、
父がいつもそばにいて、声をかけたし、
やはり、これまでの日々は
私たちにも母にも必要なかけがえのない時間だった。
そう信じたい。
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