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ふと考える。 あの日の母の心の中を知りたい。 母が家で倒れた日。 午前中に遊びにきた友達が帰り、大阪から訪ねてくる姪のための料理の下ごしらえをしていたようだった。 エプロンをしていた。ボールに干ししいたけが浸してあった。 キッチンのフローリングに続く和室の畳に横たわっていた。 フローリングに嘔吐のあと。 くも膜下出血は突然ハンマーで殴られたような頭痛に襲われるそうだ。 流しの前で痛くなり、どうにか畳まで歩いて横になったのか。 他の部屋にいて、私に電話をするために歩いてきて我慢できなくなり、横になったのか。 電話がある部屋はキッチンの隣で、あと1メートルほどだった。 私は二軒隣の家に住んでいた。 仕事から帰り着替えながら、次女に生協の母の分を届けてと頼んだ。 実家に行った次女は走って戻ってきて、叫んだ。 「おばあちゃんが倒れてるっ」 駆けつけて母におおいかぶさるようにして 「どうしたのっ」と呼びかけた。 「頭が痛い」と苦しそうに答えた。 「大丈夫だから。すぐ病院に連れて行くから」 電話にとびつき119番にかける。 呆然としている次女に、門の前にいて救急車に家を教えてと言うと、走っていった。 すぐに母のそばに戻り、手を握り耳を顔に近づけて息の音をきいていた。 はやく、はやく来てとあせりながら、きいていた。 救急車のサイレンが近づいてきて止まったとき、母の息の音がしなくなってしまった。 玄関にむかって叫んだ。 「はやくきてください!いま呼吸がとまりそうですっ」 走ってきた救急隊員のひとりが母の口に手をいれながら、早口で聞いた。 「入れ歯をしていますか? 部分ですか、総入れ歯ですか?」 「えっ、あっ、入れ歯ですけどわかりません」 母のことを知らないとはっとした一瞬だったが、それはそのあと何度も感じることになった。 急いでいるためか、乱暴にみえるほどの勢いで入れ歯をはずす。 頭が揺れた。 そのことは強く印象に残っているが、呼吸確保の処置についてははっきり覚えていない。 呼吸を取り戻し担架にのせられた母について、サンダルばきで救急車に乗り込んだ。 近所の人がかこんでいたようだったが、誰だったのか何人だったのかわからない。 次女のこともすっかり忘れてしまっていた。 長女は中学校からの帰りに、母と私が乗っている救急車とすれ違ったそうだ。 家に着くと、隣のおばさんに肩を抱かれた次女が泣きじゃくっていた。 母が倒れたあと、痛みに耐えていた時間はたぶん一時間ほど。 ひとりで苦しくて不安だっただろう。 痛いし、気持ち悪くて吐いてしまった横に寝ているのも嫌だっただろう。 私のことをはやく帰ってきてと思い浮かべていただろうか。 父は大阪から来た姪を迎えに行く予定で、帰りは遅くなると知っていた。 だけど動転しているから、やはり父を待っていただろうか。 母はこの痛みが言葉と身体の動きを奪うことを予想できただろうか。 命さえおびやかすほどの痛みなのだと感じただろうか。 命をとりとめたあとも、母から聞くことはできなかった。 そして5年後、その命も奪われてしまった。 それから3年たった。 ふとしたときに、とりとめもなく母のことを思う。 |