午 砲 台 〜 ごほうだい

午砲台は、くらがり門を過ぎて左折すれば本丸というところの、反対側に右折した場所です。広くはありませんが、首掛け石があったり谷干城の像があって、歴史に触れることができます。午砲台というのは、昭和初期に名づけられたのであり、元々は本丸御殿と月見櫓があった場所です。

横手の五郎・首掛け石 熊本城築城のとき、怪力の横手の五郎という男が首にかけて運んだという石です。数トンはあると思います。とても人間の力では無理ではないでしょうか。伝説では、彼は木山弾正の子どもで加藤清正を敵とつけねらったが、身元がわかって井戸に埋め殺されようとしたとき、「石ではだめだ。俺を殺すなら砂で埋めろ」と自分の殺し方を教えて死んだということです。

谷 干城(たにたてき) 西南の役の鎮台司令長官です。薩軍の数十日にわたる攻撃に耐え、熊本を守った軍人です。
午砲台(ごほうだい)
太平洋戦争の中頃までは、ここで空砲を鳴らして、市民に正午を知らせていました。市民は「もうドンの鳴ったバイ」と言って昼食をとったということです。これは復活しないでしょうね?