飯 田 丸 〜 いいだまる

小中学生が写生大会を行うとき、集合場所に指定するのがここ飯田丸です。備前堀の東になります。一部樹木もありますが、広い敷地となっています。竹の丸と本丸の中間地点ですし、観光客が見学する場所でもありません。

飯田丸の名前の由来は、加藤清正の重臣・飯田覚兵衛の守備担当場所だったためです。建物は西南の役前に解体撤去されました。現在は、西櫓門だけが残っています。

右下の写真は、石垣の周辺の土が取り除かれていたので、撮影しました。石垣の内部はどうなっているのだろうかと考えていましたので、そばに寄って観察しました。にぎりこぶしの大きさの石がびっしりつめられていました。これは砕いた石ではなく、川の下流の石のように丸みをおびていました。