行幸橋周辺

行幸橋を渡ってすぐ右手に、記念碑が三つ建っています。中央は西南の役で活躍した「谷村計介」の業績を称える碑です。もう一つも西南の役に関する碑のようです。一番奥のかなり大きな碑は、昭和35年に完成した天守閣の記念碑です。

谷村計介

1877(明治10)年の西南の役のとき、篭城中の鎮台から政府軍への連絡のため出された密使は数名でしたが、捕えられ殺害されました。目的を達したのは宍戸正輝、谷村計介、古城貞の3人だけでした。谷村計介は薩軍に二度捕えられましたが、巧みに脱出し政府軍との連絡に成功しました。3月4日田原坂激戦の第1日に志願して、戦場に出て伝令となりましたが戦死しました。

谷村計介の銅像は太平洋戦争中に撤去され、軍に供出されました。しばらくの間、台石でしたが、このほど有志の手で銅像が完成し、熊本城天守閣入口(内部)に安置されています。