武者返し 〜 むしゃがえし

武者返しとか清正公石垣とか呼ばれるこの石垣は、あくまでも実戦的な工夫を凝らしています。戦国の世を戦い抜いた武将にとって、平和な時代の保証はなかったのてす。

何万という敵の軍勢といかに戦うか、そんな工夫があります。侵入を防ぐ・石垣を登らせない・侵入の速度をゆるめる・進む道を混乱させる・上から攻撃する、そんな感じがします。

外側から、外堀・内堀・門・櫓門・塀・櫓・石垣・天守と何重もの防御対策がしてあります。この効果は、加藤家時代と細川家時代でなく、明治10年の西南の役で証明されます。