平成30年度  月第1週  退職記念館

皆さん、お元気ですか。1月31日(木)に自宅で倒れて、済生会病院に搬送されました。

月1日(金)  入院2日目
済生会の集中治療室にいた。誰かが「福井さーん」と呼ぶので気がついたが、壁の時計が11時過ぎを指していた。23時間ほど意識がなかったようだ。口と鼻の中にパイプがあって、しゃべれない。右腕には点滴の針が三本、左腕に一本、首に一本、足首にも一本さしてあった。尿道にはパイプが通してあり、両腕はベッドに縛られていた。

しばらくどこにいるのかも分からず、呆然としていた。集中治療室は広く、多くの医師と看護師がいた。しばらくして、家内と次男が見舞いに来た。家内は涙目で、次男はいろいろ注意する。昨夜は一睡もしていないとか。口の中にパイプが詰まっているので、上手く話ができない。生きていることはわかったので、とにかく安心した。

済生会病院4階の集中治療室のベッド数は、18だそうだ。医療器具はほとんどPCに接続され、個人の健康状態は常に蓄積されている。しかもそのデータは誰もが共有しているようだ。私が運ばれたときの血圧は50だったとか。

集中治療室です。学校の体育館くらい広い場所です。

医師と看護師の皆さんが24時間体制で監視しています。

月2日()  入院3日目  初午(欠席)
入院3日目を迎える。酸素の量も少しずつ減らしているとのこと。投薬とリハビリが始まる。リハビリといっても、廊下を歩くだけである。昼前に神奈川の兄と家内と次男が見舞いに来た。家内の連絡で、兄は急いだらしい。次男は相変わらず上から目線で私を注意する。家内はカレンダーに書き込んでいる会議の主催者に電話を入れ、すべて欠席と伝えたらしい。

家内は私の大切なノートを持参したので、日誌を記入開始。集中治療室内で、私の引越しがあった。かなり隅っこに移動した。きっと回復したからだろう。夕食は6時半だ。元気になったので、腹は減るし退屈している。今日は高橋稲荷神社の初午に行く予定だった。案内があったので、餅投げをする予定だった。

集中治療室には救急車で運ばれた人、手術を受けた人がいます。

看護師の皆さんは親切で、いつも笑顔で対応してくれます。

月3日()  入院4日目
気分良く、6時に起床。1時間ほど検査と診察が続く。採血・血糖値・点滴・体重・血圧と忙しい。7時半過ぎに朝食である。9時半に尿道のパイプを取ってもらった。20代の若い女性が○○を掴んで、「福井さ〜ん、抜きますよ」と声をかける。恥ずかしくて目を閉じていた。トイレに行きスッキリしたが、オシメはみっともない。昼食はうまかった。

12時半ころに兄と家内と蘭子が見舞いにやってきた。家族以外と中学生以下は、インフルエンザ対策のために入室禁止である。孫の写真を1枚もらう。家内には指示をする。兄にも心配をかけた。

午後はトイレに行ったり、日誌記入をする。6時に夕食。節分ということで福豆が出た。血圧が高いということで、点滴が始まる。身体に管等が付いていると、気になって熟睡できない。

消化器の手術をしたのではないから、腹は減ります。

野菜の味付けが薄かったです。減塩してあります。