10月の学校記録 

平成15年4月、井芹中学校に赴任しました。そこで新しい学校での記録を作成しました。平成15年度からの記録を残すことで、備忘録として次年度も活用できます。内容は、作業の記録が中心です。平成15年10月。

01日(水) 出勤後にキンセンカの種まきをする。育苗箱の合計は23ケースとなる。できれば山北小学校にも分けたいものである。今日は体育館の全校集会である。生徒会が訪問した「明生園」での、感動して涙を流した話をする。その後にいろんなこまの紹介と実演をした。生徒会長のYくんにも出演してもらい、お手玉の紹介をする。生徒はびっくりしたようだ。
センニチコウの種取りを開始する。二年生女子が協力したので、バケツ一杯分が採れる。2時から作業をする。メランポジュームの種取りや運動場の草刈りである。4時には終わり、野球部の練習を一時間見学する。中庭花壇のサルビアは3年男子が引き抜いてくれた。

02日(木) 朝からちりを拾ったり、育苗箱に水かけをする。センニチコウの種取りを、二年生に依頼する。種の目標は、45リットルのビニ袋一つくらいである。発芽率がはっきりしない場合は、余るくらいに採種することにしている。調理場の花壇に咲いているメランポシュームの種は、私が毎日検食後に集めている。北側の花壇に咲いていたヒャクニチソウの株は、3年生が自主的に処理してくれた。

03日(金) 朝から数人の来客あり。雑談をして、11時に解散する。キンセンカの芽も勢いよく出ているので、水かけも気合が入る。本校にも私の手伝いを積極的に行う生徒がいるので、大変頼もしく思っている。二年生の種取り(センニチコウ)と三年生の花壇処理が順調に進んでいる。午後は文書等の作成。山北の仲間が懇親会をするというので、植木町の会場にトラックで行く。10人ほどの仲間がいたが、遅れていたにもかかわらず、料理には手をつけず待っていてくれた。夜はT.Fくんの家に泊まる。

04日() 起床後朝食をごちそうになり、Fくんのみかん山へでかける。袋一杯みかんをもらい、トラックの場所まで送ってもらう。自宅には10時頃につき、バイクで県民運動公園へでかける。10時半からの野球の試合を応援するためである。決勝進出をかけて、城西中チームと対戦する。しかし、声援の甲斐もなく、1対0で敗退する。本校野球部の活躍は、私たちに夢を与えてくれた。午後は畑へ出かけ、大根の間引きをする。ナスとピーマンもかなり収穫があったので、近所に配った。名古屋の日本こままわし普及協会に依頼したこまが2個届いた。

05日( 小学校の運動会が花盛りである。花園小学校から案内があったので、そちらへでかける。本校生徒の大半は、花園小の卒業生である。昼前には自宅に帰り、食事をとる。ケーキセットを購入する。
ケーキと野菜を持って、再び山北へ向かう。昨夜お世話になったYくんの自宅へ1時ころ行く。本人不在のため、みかん山へ行ってみる。奥さんと一緒に水かけをしていたので、しばらく手伝う。3週間以上も雨が降らないので、みかんの木が弱っているということであった。2トントラックで何度も往復し、大きなタンクに汲んだ水をホースでかけるのである。4時友人と別れて帰宅し、畑へ行く。こちらも水不足のため、せっかくまいた種は発芽していない。草取りなどして帰る。

06日(月) 朝から何と雨が降っている。河内・天水・山北のみかん農家は大変喜んでいることだろう。学校では相談の上、臨時の全校集会を開く。校区に不審者が出没し、生徒が被害にあいそうになった。2限目は教育実習生二人に講話をする。午後教育委員会から三名来校。学校の現状について話し合う。その後公民館のS先生を招いて、職員研修があった。

07日(火) 今日の午後、熊本市半日授業研究会がある。私の担当は西原中学校2年生「一次関数」である。たいした実績もないのに、助言者になってしまった。そのため午前中は授業者の指導案を読み返したり、私の過去の資料を読み直した。久しぶりに数学の世界に入ってしまう。
一時半、いよいよ授業開始である。研究授業の場合、どうしても欠点だけを指摘する先生がいる。努めて授業の内容で良かったことのメモをとる。助言者として意見は述べたものの、これで良かったのかと反省をする。

08日(水) 教育委員会から二名来校。明日は小学校との連携の日である。130名の小学生が来るので、挨拶で何を話すか考える。ワープロで文書作成をする。午後は職員研修である。忙しい中に資料を提供してくれた。夕刻、頼んでいた黒土が届く。2トントラックで8000円である。この土は花壇に入れたり、花苗の移植に使用する。夜は特別に会議を設定する。

09日(木) 五時に起床して、妻をN中学校へ車で送る。今日から三日間、修学旅行である。学校では保護者と一緒に挨拶運動をする。3年集会があり、弁論大会の表彰をする。午前中に来客数人。いよいよ午後2時になり、H小学校とI小学校からかわいいお客様が130名やってきた。体育館での説明のあと、中学生の部員とともに部活動に参加する。サッカー部や野球部など参加者が多く、来年が楽しみである。夜はアトムの会。

10日(金) この日は挨拶文を考えていたが、来客が多く仕事が進まなかった。保護者に高校の先生など、次から次とやってきた。K高校の入試説明会に出席する。

11日( 4時に起床する。炊事をして台所を片付ける。次に洗濯をして、駐車場に干す。結構時間がかかる。
午前8時にバイクで出発する。菊水インターから高速に入り、福岡へ向かう。今回は一人旅であるが、目的地は飯塚市の「日本の独楽資料館」である。二年前のインターネットの新聞記事をたよりに、ひたすら北上する。10時半には何とか資料館に着き、のんびり見学する。入館者は私一人であった。許可を得て、大半を撮影する。高さ3m、重さ8トンの巨大なこまと対面。1時間見学したあと、国道201号線を利用して、久留米インターから熊本へ帰る。3時ころには帰宅できたので、のんびり昼寝をする。午後7時には修学旅行から帰る妻を迎えに行く。

12日( 庭でキンセンカの苗を、ビニポットに移植する。8時半になったので、トラックで天水中へ出かける。バスケットの練習試合があったので、お昼まで応援する。有明中と天水中、そして本校チーム(男・女)の交互の試合であった。昼食をとり、畑へ出勤する。いよいよエンドウやソラマメの種まきである。合計5列の種まきをして、水かけをする。4時半には帰宅して、再びキンセンカの移植をする。全部で7ケースとなったが、すべて学校用である。

13日( なぜか3時に目が覚めてしまった。小学生と一緒で、休みの日になると早起きをしてしまう。お風呂に入り、優雅な生活が始まる。ホームページを作ったり、写真の整理をする。明日教え子が研究授業をするというので、その指導案を検討する。キンセンカの苗移植をする。全体で10ケースとなった。8時になったので、バイクで宇土へ行く。目的は一つ、地蔵工房の撮影。突然思いつき、つなわたりこまの製作をする。シナベニヤ板を何枚も糸鋸で切り、二時間かけて完成させる。ところが台の上からこまが落ち、芯棒が折れてしまった。完全にやる気をなくした。おもしろくないので、畑へいく。草取りとナスの収穫をしたら、気分が落ち着いた。夜突然雨が降り始めた。畑のことを思うと、嬉しいかぎりである。

14日(火) トラックにキンセンカの苗を積んで、早めに出勤する。連休明けのため、校庭にチリが多い。一年生は今日から阿蘇の教育キャンプである。見送って自主校長会に出席する。12時半には学校で給食をとる。しばらくしてK中学校へ行く。25年前教えた生徒が教師となり、その授業を見に行く。教え子の成長が感じられ、頼もしく思う。

15日(水) 午前2時起床して、ホームページ作成をする。かなりのページが完成し、しばらくは安心である。学校に花苗15ケースが業者から届く。玄関前の花である。研修のレポートを確認し、校正する。山北小学校を訪問し、作業の手伝いをする。六時前に学校を出て、阿蘇町・大観望へ向かう。一年生が教育キャンプをしているので、キャンプファイヤーの応援である。一緒に歌ったり子どもの様子をみて、11時に帰宅する。自宅に着いたのは12時過ぎであった。

16日(木) 花苗や耕運機をトラックに積み、出勤する。9時過ぎから11時まで、花壇の作業をする。牛糞や肥料をまき、中庭やプロムナードの花壇を耕す。珍しいせいか、ときおり生徒も手伝ってくれた。午後中庭の花壇には、キンセンカを定植する。今年は初めてでもあり、少し苗が不足するようでもある。学校便り作成を始める。夜はアトムの会に出席。

17日(金) レポートを読む。子どもたちと一緒に、花苗を定植する。午後3時ころ、校区のH学苑に行く。ボランティアの件で相談する。施設を案内していただき、私も製作したい作品が目にとまる。生徒の49日法要のため、三人で訪問する。センニチコウの種取りは完了する。

18日( 朝から自宅で花苗の移植をする。10時に学校へ行く。今日は11時から、PTA主催のバザーと親子鑑賞会が計画されている。ぜんざいたべたり、バザーの時計や急須を購入する。1時からいよいよステージである。私が挨拶のあと、ちょんかけごまを披露しました。初めての出演で、少し緊張する。引き続き看護大学のソーラン節と、崇城大学の沖縄エイサーがあった。生徒も保護者も感動したようである。3時半には帰宅して、花苗の移植を続ける。朝と合計して、7ケースができた。

19日( 朝7時、阿蘇町乙姫小学校に向けて、車で出発する。今日は熊本県人権教育研究大会二日目である。乙姫小は昭和46年4月着任した、なつかしい初任地である。当時の木造校舎はなく、新しい建物になっていた。分科会では報告の後、積極的な意見交換が行われた。参考になることも多く、有意義であった。3時には阿蘇町を去り、二重峠経由で自宅に向かう。5時過ぎには、畑で作業をする。

20日(月) 花苗のケースを積んで出勤する。午前中は研修会の資料作成をする。学校便りはほとんど完成する。5校時は全校集会「いのちの尊さ」がある。中庭で苗移植用の土を作り、トラックに積む。自宅でも学校でもひたすら、キンセンカの移植をしている。

21日(火) 中庭で花壇の整理をする。マリーゴールドを引き抜いていた株を、ビニ袋に詰める。その後キンセンカの苗の移植をする。作業は9時に開始して、11時に終了する。午後はパソコン入力をする。3時半、運営委員会あり。夜は会議。

22日(水) 朝から校庭のちり拾いをする。三人の訪問者があり、手伝ってくれる。校区のI小学校の研究発表会があったので、参観に行く。授業は算数が中心であった。中間テスト実施。午後は職員会議あり。

23日(木) 中間テスト二日目。中庭でスイセンの球根を鉢に植えたり、水かけをしたり、キンセンカの苗を4ケース移植する。午後は会議のため、Y中学校へ出向く。道端のみかんが色付いていた。夜はアトムの会に出席する。

24日(金) 自宅からそのままフードパルくまもと(貢町)へ向かう。今日は熊本市中体連駅伝大会である。本校はこれまで出場していなかったが、今年女子チームが初出場である。37チーム中15位のすばらしい成績を収めてくれた。今後期待できそうである。男子は出場していないので、午後は学校へ戻る。放課後は運動場でソフトボールの練習をする。

25日( 寒くなったので、タンスの衣替えをする。1階の服を2階に上げたり、クリーニングに出す服を下ろしたりした。学校便りを完成させる。ホームページの「ふるさと熊本紹介」を全て削除する。全部で130ページのテキスト、400枚近くの写真を電話回線で削除した。二時間近くの作業となった。午後はプランターの土作りをした。土が古くて養分も少ないので、肥料や牛糞・赤玉土や畑土を混ぜて活性される。15個のプランターの土が新しくなった。3時に予約していたので、散髪に行く。5時に帰り、畑へ行く。一時間かけてひたすらサトイモを掘る。

26日( 癒しの場所・畑へ出勤する。7時からナスとピーマンの株を引き抜き、処理をする。今年も収穫が多く、かなりの量の野菜を配布した。9時に帰宅して、川尻町の「くまもと工芸会館」へ急ぐ。途中知り合い二軒に野菜を届ける。
実は今日の工芸会館イベントで、こま作り体験ができるからである。9時半に着いたら一番乗りで、しかも準備中であった。担当の方が親切で、最初に作った作品にしては上出来である。今後病みつきになりそうだ。こまも完成したのでお礼を述べ、宇城クリーンセンターへ向かう。フリーマーケットを見学して12時過ぎに帰宅する。何を思いついたか、突然乗用車を洗い始める。この車を掃除するのは何ヶ月ぶりだろう。足回りにたくさんピッチがついていたので、専用のスプレーできれいにする。最近学校へはトラックが多いので、汚れたままであった。

27日(月) 連休明け一番にすることは、まず学校花壇と花苗の水かけである。ところが、誰かが水をかけていてくれたようである。25日26日に本校で野球の試合があったので、生徒か保護者が水をかけたようである。学校便りの印刷と配布が終る。3校時は生徒会立会い演説会である。立候補者の中に、「校長先生と一緒に花を育てたい。」と公約する生徒が数人いて、とても嬉しかった。

28日(火) 旅行前日のため、大きなバッグに荷物を詰めて出勤する。10時半に業者が来て、生徒と教師の荷物をすべて京都へ送る。高校から来校あり。一年の総合学習が二階フロアーである。熊本城の方が三名やってきて、生徒に説明をする。3年の総合学習もあり、体育館で熊本市消防局音楽隊の演奏があった。引き続き専門家による救急法の講話もある。3時に会議のため、外出する。

29日(水) 本校二年生の修学旅行一日目。いよいよ修学旅行である。生徒は6:30に体育館集合。7:30バスで福岡空港に向かう。10:30大阪へ飛び立ち、11:20に大阪空港に到着する。バスで大阪城へ着き、昼食をとり見学する。1:30には大阪人権博物館を見学する。4:30清水寺に到着する。観光客が多く、混雑していた。6:00京都の旅館・中原に着き、部屋に入る。この旅館は六角堂のそばである。夕食やお風呂の世話で忙しい。消灯しても生徒は興奮してなかなか休まない。腰に下げていた万歩計は、9500であった。

          

30日(木) 本校二年生の修学旅行二日目。6時前に起床して、すぐ風呂に入る。7:00旅館での朝食をとる。8:00いよいよ自主行動である。生徒は6人編成で、計画した見学コースを自分たちで廻る日である。先生たちはチェックポイントにタクシーで向かった。私は旅館待機である。PHSを使って、バスに乗り間違えた、財布を忘れたと生徒からの連絡がさまざま入ってくる。3:30には、ほとんどの生徒がお土産を抱えて帰ってくる。さて荷物を整理して、旅館・中原を出発。次の宿泊地奈良へ向かう。渋滞が激しく、奈良の・高円山ホテルに到着したのは、6時過ぎとなった。ホテル到着後は昨日と同じ日程になる。腰に下げていた万歩計は、13000であった。よく歩いたものだ。ところで夕食のとき、2年担任F先生の結婚お祝いの会を実施する。生徒たちの温かい拍手に、本人も感動していた。

          

31日(金) 本校二年生の修学旅行三日目。生徒も慣れてくると、起床後の部屋の整理もきれいになるようだ。おいしい朝食をとって、8:10にホテル出発。8:50奈良公園に着き、ガイドさんの案内で東大寺を見学する。巨大な大仏さんの姿に、生徒は感動した。記念写真をとったり、お土産を買ったりして楽しんでいた。11:00に公園を出発し、12:10大阪の海遊館に到着する。まず昼食をとって、海遊館の見学をする。確かにエイやサメの姿は、大人にとっても珍しいものである。2:00海遊館を出発し、大阪空港に到着する。待機していたら、機長のYさんが生徒に話しかけてくれた。めったにないことで、ありがたかった。4:00発の飛行機に乗り込む。福岡空港に着いたのは、少し遅れて5:22であった。一階ロビーで解団式を行い、バスに乗り込む。二年生の保護者が待つ井芹中学校へ到着したのは、8:00であった。笑顔で迎える保護者に全員無事に手渡すことができ、三日間の疲れが取れたようである。