◆ 本渡市・祇園橋 

場所 祇園橋(ぎおんばし)の所在地は、本渡市船之尾町にあります。天草瀬戸大橋を渡り天草工校前に来たら、左折して新亀川橋を渡ります。1kmほど直進すると大きな交差点があり、左折します。この道路は県道24号線になりますが、400mほど先に天草厚生病院がありますので、そこから右折します。さらに300m位で本渡橋になりますが、その橋の上流に祇園橋が見えます。

祇園橋は眼鏡橋ではなく、町山口川に架けられた石造りの桁橋(けたばし)です。平成9年12月3日に、国の重要文化財として指定された貴重な橋なのです。橋の名前の由来は、すぐそばに祇園神社があるからです。橋の長さは28.6m、橋の幅は3.3mあります。天保3年(1832)に架けられたもので、橋全体が四角柱で造られている感じがします。橋げたは5本ずつの9列あり、合計45本の脚で支えられています。橋を渡れば重厚な感じを受け、橋の下から眺めれば圧倒されてしまいます。

一般的な眼鏡橋の場合、道路部分は土になりますが、この橋は石になっています。しかもゆるやかな曲線を描いています。地元の砂岩を使っているということですが、砂岩はもろくて、しかもはく離しやすいという欠点を持っています。しかし、100年以上の風雪と地震に耐え、今日まで残っています。現在、車の乗り入れは禁止です。熊本県設置の説明板を紹介します。

祇園橋  国指定重要文化財 平成9年12月3日指定
この石橋は、天保3年(1832年)町山口村庄屋大谷建之助が発起し架設したもので、祇園神社の前にあることから、祇園橋と呼ばれています。石造桁橋では日本最大で、長さ28.6m幅3.3mあり45脚の石柱により支えられています。下浦村(現下浦町)石屋の辰右衛門により建造され、地元の砂岩がしようされています。
この付近は、寛永14年(1637年)11月 天草の乱で、天草四郎の率いる宗徒軍と、富岡城番代三宅藤兵衛の唐津軍とが激突した場所です。両軍の戦死者により川の流れは血に染まり、屍は山を築いたと伝えられています。毎年、10月の第4日曜日には殉教祭が催され、宗派を超えて御霊の供養が行われています。