◆ 菊陽町・上津久礼眼鏡橋 

場所 上津久礼眼鏡橋(かみつくれめがねばし)の所在地は、菊池郡菊陽町津久礼字松ノ本です。熊本市からは国道57号線(東バイパス)を北上して、県民総合運動公園の入口へ行きます。ホテル「火の国ハイツ」の先に大きな歩道橋がありますので、そこから右折します。この道路は県道145号線で、3kmほど直進すると、T字型交差点近くにやって来ます。ここに井口眼鏡橋がありますが、この交差点で左折します。さらに300mほど先の白川に架かる津白橋を通過すると、右方向にこの眼鏡橋が見えます。田んぼの中です。

 

この橋の特徴は、二つの高さの異なる井出(用水路)に架けられていることです。大小二連のアーチ型石橋であり、周囲は保存のために公園化されています。橋は天保9年(1838年)に、戸次村の治助によって架けられています。橋の長さは16.2m、橋の幅は2.8mあります。当時の様子が詳しく書かれた案内板が、菊陽町教育委員会によって設置されています。

津久礼眼鏡橋(津久礼宮ノ下 菊陽町指定文化財)  この眼鏡橋は、津久礼井出(大アーチ)と、瀬田下井出(小アーチ)下流に架かる二連式石造アーチ橋です。この橋の特徴は、津久礼井出の川底は低く、瀬田井出は高く、周辺の実情に合わせて構築されていることです。津久礼村(区)は、もと白川端にあったものを、延宝時代の始頃(1677)当時の藩主細川綱利公の命により、現在地に移住し、元禄12年(1699、御普請方、野口小次右衛門)津久礼井出が完成すると、これまでの畑地が水田となり、経済性の向上と共に、この眼鏡橋が架けられたものと思われます。
この橋は、天保9年(1838、戸次村住 石工治助)に作られましたが、その当時は、阿蘇以西の村々と、熊本国府を結ぶ最も重要な道筋(窪田往還)にあたり、また、地元民にとっては日常欠くことのできない生活道でもあったのです。このたび、県営圃場整備事業を推進するにあたり、祖先の貴重な遺産を保存するため、周辺用地も併せて整備し、公園化するものです。

菊陽町教育委員会