◆ 大津町・光尊寺橋 

場所 光尊寺橋(こうそんじばし)の所在地は、菊池郡大津町大字大津です。熊本市からは国道57号線(東バイパス)を北上して、大津町へ入ります。国道57号線は大津町市街地のバイパスになっていますから、途中で左折(北)して、市街地を走る県道30号線に入ります。大津郵便局前の大きな交差点から、さらに左折(北)します。200mほど進みますと、小さな川があります。この川に沿っていくつもの石橋があります。光尊寺橋は、最初に現れます。

 

ていねいに築かれた輪石や趣のある欄干など、架けられた当時のままの雰囲気を残しています。石橋の下を流れる川は、堀川あるいは上井出と呼ばれています。江戸時代に水田開発のために開墾された川であり、宿場町・大津の基礎になりました。橋の名前は、目の前にある光尊寺に由来します。文化12年(1815)架設の石橋は、長さ6.2m、幅2.1mです。
この石橋と堀川に関する説明書きがありましたので、全文を紹介します。

史蹟 堀川(上井出) 加藤忠広公は父清正公の遺志を継いで元和4年(1618)堀川の開墾に着手、瀬田鍋倉の瀬に取入口を設けて幾多の難所を排除しつつ工事を捗めた。しかし寛永9年没封国除となり、かわって入国した細川忠利公がその遺業を継ぎ、寛永13年(1636)工事を再開、次代光尚公により坪井川まで全長約24kmの堀川が完成。原野変じて大津穀倉地帯の基が礎かれた。このことは肥後三大御倉の一つ大津御倉が置かれたことが如実に物語っている。
以来堀川に沿って集落が形成され大津手永会所の所在地として政治経済の中心地となり、また参勤道の宿場町して繁栄を続けた。往時堀川には流れを利用した水車が20余輪を数え、後に米粉加工による郷土銘菓銅銭糖の誕生をみることになる。当光尊寺は承応2年(1652)に開基された古刹で山門に架る石橋は文化12年(1815)架設で堀川に現存する石橋の代表的な一つである。 昭和55年10月1日 大津町教育委員会