◆ 本渡市・楠浦の眼鏡橋 

場所 楠浦の眼鏡橋(くすうらのめがねばし)の所在地は、本渡市楠浦町字中田原になります。天草瀬戸大橋を渡り天草工校前に来たら、右折して県道26号線を南下します。3kmほどでY字型交差点に来ます。ここで右折して、楠浦小学校の前を通過します。民家がありますが、楠浦駐在所の先から左折します。左折して畑の中を500mほど進みますと、この眼鏡橋が現れます。

この橋の近くには、楠浦神社があります。以前はこの橋を渡って、宮参りをしたと思われます。しかし、すぐ横には新しい舗装道路がありますから、現在は利用する人もいないでしょう。久しぶりにバイクを橋の前に置き、記念の一枚を残しました。ここは舗装道路にも近く、しかもガードレールがありません。石橋を見るのが目的なのか、それともバイクに乗るのが目的なのか、自問自答が続きます。

単一アーチの眼鏡橋の長さは26.33m、幅3.05mです。明治11年に造られた、比較的新しい石橋です。施無畏橋と同じく、下浦石が使用されています。本渡市教育委員会設置の看板があり、詳しい説明が書かれています。

本渡市指定文化財 「楠浦の眼鏡橋」 昭和33年5月1日指定
この眼鏡橋は、楠浦〜宮地往還を結ぶために方原川に架けられたもので、釜の迫の堀切りと共に、楠浦村庄屋宗像堅個氏の遺徳を後世に伝える二大事業の一つである。アーチ型の石橋は優美にして且つ堅牢、橋長26.33m、橋巾3.05m、明治11年6月11日から80日間で完成している。石材は下浦石で、石工も下浦の松次、打田の紋次、足場枠組大工は楠浦の和田茂七である。
宗像庄屋はこの架橋工事の25年前に前潟新田の水害を救うため、方原川の下流を変える釜の迫の堀切りの大工事をなし遂げている。即ち万延元年(1860)から元治元年(1864)まで実に5年余りの歳月と延4万5千余人を使った大工事であった。削河碑は、方原川が「なきごしの海」に曲がる河畔に建てられている。 本渡市教育委員会