◆ 菊池市・永山橋 

場所 永山橋(ながやまばし)の所在地は、熊本県・菊池市大字原字永山です。菊池市の中心部から左手に菊池神社をながめ、国道387号線を登ります。菊池神社から10kmほど進むと、やがて立門の大きな交差点に来ます。ここで右方向へ進みます。この道は県道45号線で、菊池阿蘇スカイラインと呼ばれています。交差点から2kmくらいのところが、永山地区になります。県道の右下へ下りる道路がありますから、徒歩で進みます。県道に広い駐車場があったので、そこにバイクを停めました。

この橋は下流に架かっていた旧永山橋が流されたため、明治11年に橋本勘五郎によって架けられました。県指定の重要文化財になっています。橋の長さ24.4m、高さ17.0m、橋の幅4.7m、そして輪石の数は45枚です。橋の長さに疑問がありますが、親柱と親柱の距離が24mではないのでしょうか。基礎部分を入れれば、もっと長くなります。

山奥の眼鏡橋といった感じがします。欄干に座り、親柱と一緒に記念の一枚を撮りました。周囲の景色もよく、自然の中にこの石橋は溶け込んでいます。県道が造られてからは、この橋は地元の方だけの道になっているようです。橋のたもとには、環境庁設置の看板がありましたので、紹介します。

永山橋  旧永山橋は現永山橋より130m下流に文政6年(1823年)に架けられたが、文政12年5月の洪水で流失している。現永山橋は明治11年に完成している。架橋は古老の武藤逸美氏は「私の祖父甚平に妻(祖母)がお嫁にきたのが明治9年であった。その年が着工の年で、翌々年明治11年の春約2ヶ年の歳月を費やして現在の橋を見るに至った」と語る。工事中一度枠組に失敗して再度やり直したと伝えられている。当時永山橋は熊本・合志・菊池と小国、豊後との交通上の要路で、この西方4kmの地点にある日田往還よりの立門橋と共に、肥後と豊後の交易の要路上の重要な橋としての意義は大きなものがあった。石工は肥後八代種山手永の橋本勘五郎である。
使用石材は近くの上崩迫より切り出して多くの石工、大工、人夫によって構築されている。明治4年に東京に召された橋本勘五郎は、皇居の二重橋をはじめ、江戸橋、万世橋、浅草橋等の眼鏡橋を架けて当時の東京市民の生活の便をはかっている。内務省によると、明治七年の日付で「月給弐拾円也」となっている。永山橋は欄干の形状に特長があるといわれる。
規模 長さ24.4m 高さ17.0m 幅4.7m 輪石45枚  環境庁・熊本県