◆ 山鹿市・大坪橋 

場所 大坪橋(おおつぼばし)の所在地は、山鹿市鍋田の山鹿市立博物館です。熊本市から国道3号線で山鹿市へ入り、山鹿大橋から1kmほど進み、左折します。博物館までは道案内の標識がありますので、迷わずに博物館へいけます。山鹿市立博物館の建物の右手に公園があり、そこに移設保存してあります。

この石橋は水路橋であり、慶応元年(1865)に、惣庄屋・福田春蔵によって架けられたものです。長さ23.2m、幅2.4mの水路橋ですが、一番上の写真から水路の様子が分かります。二連アーチの大きな水路橋を、山鹿市はよく保存したものだと感心します。アーチ下に行けば分かりますが、輪石に番号が打ってあります。移設された石橋によく見かけるものですが、これは解体前に番号をつけ、組立てのときの基準になります。さて昭和59年3月に、山鹿市教育委員会が設置した記念碑がありましたので、紹介します。

大坪橋の由来  この眼鏡橋は幕末の名惣庄屋福田春蔵が慶応元年頃(1865年頃)宗方・中村地区の住民が水利に乏しく、干害に苦しむのを憂え、寺島井出の用水を引くため関係地区民とともに苦心惨憺して、吉田川右岸のもと熊入字大坪86−2番地から山鹿字七ッ石1976−2番地へ架橋されたものである。
この橋は矢部町にある通潤橋につぐ全国第二位の用水橋であり、二連橋としては県下170基のうち第十一位にかぞえられ、すばらしい造形美をみせる石の芸術である。
築造以来昭和28年9月26日までの約百年間その恩恵は実に多大なものがあった。今般吉田川河川改修工事によってやむなく撤去せざるを得なくなったが、先人の偉業を偲ぶためにぜひ保存したいとの強い要望があり、県の協力を得てここに復元移築したものである。

ここ山鹿市博物館周辺の記念碑等を、いくつか紹介します。広い敷地を生かして、石橋を生かした公園や西南戦争関連の資料も屋外に展示してあります。とくに西南戦争当時の錦絵を、大きく拡大してあるのが印象に残りました。デジカメで撮影してみましたら、色彩も鮮やかで原画に迫る迫力がありました。

 


左の写真は、熊入橋の記念碑です。吉田川に架かっていた眼鏡橋が河川改修のため撤去されたので、架橋当時の記念碑だけが保存されています。このほか昭和5年に崩壊した鍋田橋の記念碑もすぐ近くにあります。
右の写真は、西南戦争関連の記念碑です。明治10年の西南戦争において、この地は「山鹿口の戦い」があった場所として知られています。石碑には、多くの戦没者名が刻まれています。

山鹿口 ここは歴史を 語り継ぐ