◆ 植木町・三十六の眼鏡橋 

場所 三十六の眼鏡橋(さんじゅうろくのめがねばし)の所在地は、鹿本郡植木町清水にあります。説明書きによりますと、三十六というのは江戸時代の地名のようです。熊本市からここへ行くには国道3号線を北上して植木町へ入ります。平田機工の先でY字型交差点があり、ここで左方向へ進み、県道3号線をさらに進みます。山本小学校の先の右手に天満宮があり、その池に架設されています。

この橋は嘉永3年(1850年)に架けられた、単一アーチの石橋です。千田川に架けられていたものですが、昭和57年の水害で撤去されて移設したものです。なかなかいい場所に設置されたと思います。階段のために車の通行もできませんので、長く保存されるでしょう。すぐ近くには湧水もあり、町民の憩いの場所となっています。

橋の輪石に番号が見えるのは、移設したときの目印でしょう。中央の楔石が一つだけ長いのが印象に残りました。橋の造りに関する碑文はありませんので、階段や楔石が架橋当時のものかは不明です。

橋の欄干わきに、昭和59年3月付け植木町教育委員会が設置した石碑がありました。「石橋の由来」と題した長文をノートに記しましたので、原文のまま紹介します。

この石橋は、幕末の嘉永三年(一八五0年)山本郡下大清水村庄屋畠山理左衛門、大清水村庄屋服部甚之助、玉名郡広村庄屋木村茂四郎、江藤又左衛門によって、村界を流れる大清水川に架橋されたもので、熊本新一丁目を起点とし、植木町味取、内村、三十六を経て本橋を渡り、広町、山鹿町、南関町を経由して筑後、筑前、豊前小倉に至る九州屈指の大道を誇り、豊前街道の呼橋で、参勤交代の道として利用され、築造以来約百三十年間その恩恵は実に多大なものがあった。
昭和五十七年の水害を契機として、今般千田川河川災害関連事業により、やむなく撤去せざるを得なくなったが、先人の遺業を偲ぶためにぜひ保存したいとの強い要望があり、県の協力を得てこゝに復元移築したものである。