◆ 御船町・八勢眼鏡橋 

場所 八勢眼鏡橋(やせめがねばし)の所在地は、熊本県上益城郡御船町上野にあります。八勢というのは地名で、小字(こあざ)名のようです。国道445号線に沿って、御船町へ入ります。御船町の中心地から左折して、県道221号線を進みます。やがて七滝中学校がありますので、その近くで案内板の通りに行けば目的地へ行けます。御船町中心街からこの八勢眼鏡橋までは、いくつもの標識がありますので捜しやすいと思います。

この橋は安政2年(1855)に架けられた、単一のアーチ橋です。橋の長さは62mにもなり、熊本県でも長い石橋ということになります。幅員(道幅)は4mとなっています。この橋を造った石工は、種山の甚兵と卯助兄弟です。この橋は昭和59年3月3日付けで、熊本県指定重要文化財になっています。静かな山村の中で、周辺は公園化されています。この石橋を延長した形で八勢小橋があり、その横に八勢水路橋があります。現在は車の乗り入れはできませんが、歩いて渡れば江戸時代の雰囲気にひたることができます。

八勢眼鏡橋の欄干が気に入りました。ていねいな造りになっていて、橋全体と調和しています。昔の人々はこの橋の上で休憩をとり、四季折々の風景を楽しんだに違いありません。右の写真は公園の石に腰かけ、過去の様子に思いを巡らす私です。最近購入したバイク用のベストが決まっています。ここで一句   岩を割き 石を重ねて 人の道

かなり長文ですが、平成4年3月付けの、御船町及び御船町観光協会の案内板の解説を紹介します。この文は碑文を写したものであり、当時の様子をうかがい知ることができます。

八勢之眼鑑橋之記   八勢川の水源は矢部大矢山の雫を濫しょうとして北河内折田良或者木倉清水谷等云へる其所の渓彼所の流れ寄せ合せて都々良と伝る所の上下にて一に落合てぞ如是大河とは成にける此の八勢と南田代との二唈の間に矢部菅尾又は日向国内に往来道あり夫は此川に橋無ては通い難く殊に其険しき山路にしも在るなれば人馬供に行悩みしを先年其道をなほ上の方に作りかえたりしより仰行易きが如しとは言いつれど却ては道の隅多く雨にぬかり雪になずみて中々に煩う事とはなりぬ且是までの橋者木竹以て掛け渡したるなれば年毎に長雨降水かさまれば往々に押し流さるることしばしば斯て其を掛かふるにも多くの民も役に苦しみ物の買も大方ならずなむかかりける夫を林田能寛年頃いたく憂ひいかでお許蒙りては己力の限り努力成し上国恩に報奉り下蒼生の患とどめてんとの志を興して其の事を総庄屋光永惟詳に計る惟詳も同心に諾して事の由を具きに上司なる蒲地正紹に申し正紹も能寛の中志を賞でそれの乞うままに官に申請へしかば能寛は己が願事の叶えるを歓び巨万の費を厭はず去年十二月より始めてきしも険しき巌を崩し石を除きて辛苦して新道を墾き橋をば石をたたみて如此目鑑橋と言へる物に造りかへしめ本年三月末つ方までに成し果ぬかくては行き通ふ道も平らかに踏み渡る橋も朽る事なくさざれ石の磐とならむきはみ永代に伝往む林田が功績を語つぎ云続にせん為此石丈に此所を往来せむ人等閑にな見過しそ
故其功平称面宇多倍留新造橋之石根常滑仁尽代不有功績叙是  安政二年と云歳の五月朔日  安田貞方
             (途中の人名等は省略)
右は碑文の写しであります。碑文は百数十年も前の文章で解読し難いものがあります。幾分なりとも読み易ければ幸いと思いここに掲示しました。地元の私達は眼鏡橋の由来先啓林田能寛翁の偉業を讃えると供に御先祖の御苦労とその恩恵をいつまでも忘れる事なく感謝申し上げたい強い思いです。 平成四年三月   御船町  御船町観光協会