上陽町・洗玉眼鏡橋 

平成14年11月23日(土)に、国道208号と国道209号を利用して八女市をめざし北上しました。車のナビを利用して、上陽町へ到着したのは、午後1時でした。上陽町でいくつかの眼鏡橋を見学しました。洗玉眼鏡橋の紹介をします。

 

場所 洗玉眼鏡橋(せんぎょくめがねばし)の所在地は、福岡県八女郡上陽町北川内洗玉にあります。上陽町は星野川をまたぐ石橋群と、川辺を舞う源氏ぼたるの二つを大切に守ってきました。町面積のほとんどが山林のため、主な産業は茶・みかん・木工品・竹製品です。物産館「ほたると石橋の館」を訪問すれば、情報が得られます。

 

この眼鏡橋は単一アーチで、橋の長さ32.5m、アーチの直径22.5m、幅員5mです。阿蘇凝灰岩を使用して、熊本の名工・橋本勘五郎が完成させました。橋本勘五郎は、通潤橋を架けたことで有名です。大工棟梁も熊本の人で、吉沢大七といいます。明治26年(1893)5月3日完成の眼鏡橋は、橋本勘五郎最後の石橋となりました。

 

石橋は現役の橋として利用されていますが、車の通行はできません。現在上陽町の文化財として、大切に保存されています。なお、眼鏡橋のそばに平成7年11月21日作成の案内板がありましたので、その一部を紹介します。

洗玉眼鏡橋(せんぎょくめがねばし)
当時、上妻・下妻郡役所は木橋架設の計画が進められていたが、北川内村民の強い要望により石橋仮説に変更され、郡費村費の外に北川内村民222名の一般寄付により、○○名〜室園間の星野川に明治26年(1893)5月3日、熊本県矢部町の通潤橋を手掛けた橋本勘五郎によって架設された。
石橋の左右側に鞘石垣が設けられ、壁石は乱れ組の技法を取り入れた、福岡県随一とも言われる最大級の石橋です。明治・大正・昭和・平成と幾多の洪水にも耐え、美しい弧を描き、アーチ造りの強靭さを物語っている。又、上流側アーチ中央部分の要石に「肥後上益城矢部吹上兄弟橋、八代種山棟梁 橋本勘五郎、倅 源平、孫 為八」と刻銘がある。この洗玉橋は勘五郎最後の架橋として有名を轟かし町民の偉大なる文化遺産である。

平成7年11月21日 上陽町教育委員会

平成14年11月23日(土)訪問