諫早市・諫早眼鏡橋 

平成15年8月20日、長崎市からの帰りに訪れました。車にナビは付いていますが、最後は親切な方にたずねました。諫早市の中心、高城町にありました。ここは、諫早公園内になります。

場所 諫早眼鏡橋(いさはやめがねばし)の所在地は、長崎県諌早市高城町771−2です。県道からは小高い林があり、直接見えませんでした。地元では「眼鏡橋」と呼ばれているようですが、長崎市の「眼鏡橋」と区別するために、諫早眼鏡橋と言った方がよいでしょう。

石造りの二連アーチは、優美な印象を与えます。石造りであるにもかかわらず、橋全体が弧を描いているからです。しばらく芝生に座り、ながめていたほどです。あたかも鷹が羽を広げ、今まさに飛び立とうとしています。この橋の特徴は、大きい割には壁石が少ないということです。つまり、輪石のカーブに合わせて、高欄と路面が造られています。二百近い石橋を見学しましたが、美しい橋の一つと思います。

橋の長さ49.25m、幅5.5mの眼鏡橋は、天保10年(1839)に完成しました。諫早市内を流れる本明川に架けられていましたが、河川改修に伴って公園に保存されました。昭和33年(1958年)に国の重要文化財に指定されましたが、その三年後(昭和36年・1961年)に移設保存されたものです。

見る人に安定感を与える左右対称形とともに、中央部に配した水切りも美しい印象を与えます。同時に池の中に復元され、当時の面影を残すように配慮されています。見る場所によっては水面に映る影が、眼鏡のようになるはずです。
壁石が少ないため、路面も弧を描きます。そこで歩行者のためには、石段が必要になります。一番高い路面は、輪石の上を歩くことになるのかもしれません。

詳しく書かれた案内板がありましたので、皆様に紹介します。石の数まで書かれていました。

重要文化財  眼鏡橋

この橋は、すぐそばを流れる本明川の下流、ここから約450メートルの所に架けられていたものです。本明川は昔からたびたびの洪水で橋が流され、人びとは長い間苦しんでいました。そこで、永久にこわれない石橋を作りたいという切実な願いが起こり天保10(1839)年精魂込めて架けられたものです。それからは「いさはやのめがねばし、いきもどりすれば、おもしろかなり」と数え歌とともに愛され、親しまれてきました。
昭和32年、死者539人を出した大水害で、本明川の橋はほとんど流されたのですが、眼鏡橋はそのままで名橋の名をとどめました。
水害復興で川幅を広げるため橋を取り除いてしまう計画でしたが、こんな立派な石橋をなくすのは惜しい、という市民の熱意が実を結び、石橋で初めて国の重要文化財に指定され、昭和36年9月、もとのままの形でここに移されたものです。
橋の長さ 49.25m  幅 5.5m  石の数 約2800個

昭和33年11月29日   文部省・諫早市教育委員会