長崎市・長崎眼鏡橋 

平成15年8月20日長崎市で研修会があり、その帰りに訪れました。長崎眼鏡橋としていますが、正式には「眼鏡橋」です。諫早市の眼鏡橋と区別するために、あえて長崎眼鏡橋と記述しました。

場所 眼鏡(めがねばし)の所在地は、長崎県長崎市栄町です。近くには諏訪小学校がありますが、栄町と古川町をつないでいます。中島川には数多くの眼鏡橋があったものの、洪水によって流失しています。下流にある袋橋とともに、流失を免れました。

昭和35年(1960)に国指定重要文化財に指定されている石造りの二連アーチは、確かに古さを感じさせます。日本最古の眼鏡橋となっていて、寛永11年(1634)に架設されました。これまでの洪水に耐え、修復されて現在まで保存されてきました。

橋の長さ22m、橋の幅3.65m、橋の高さ5.46mとなっています。諫早眼鏡橋は昭和33年(1958年)に国の重要文化財になりましたので、その二年後にここの眼鏡橋が国の重要文化財に指定されたことになります。

壁石と輪石につなぎに白い物が見えますが、これが何かはわかりません。上の写真では、石段が見えます。路面が道路よりも高いため、石段になったと思われます。車の通行はできませんので、かえって橋の保存のためにはいいようです。

詳しく書かれた案内板がありましたので、皆様に紹介します。

  眼鏡橋 国指定重要文化財(昭和35年2月9日指定)  
中島川の第10橋。わが国最古の石造りアーチ橋で、寛永11年(1634)興福寺・唐僧黙子禅師(とうそうもくしぜんし)によって架設された。
黙子禅師は中国江西省建昌府建昌県の人で、寛永9年(1632)に日本に渡来したが、石橋を架ける技術指導者でもあったようである。しかし、この眼鏡橋は、正保4年(1647)6月の洪水で損害を受け、慶安元年(1648)平戸好夢によって修復がなされた。川面に映るその姿から、古来より”めがね橋”の名で長崎の人たちに親しまれていたが、明治15年に正式に眼鏡橋と命名された。