薩軍三勇士の墓

熊本県には、薩軍墓地は少ないです。西南戦争における墓地は、そのほとんどが官軍墓地です。当時の政府は、官軍兵士のためにお金を出して墓を作ったからです。この玉東町には薩軍墓地はないと思っていましたが、一箇所だけありました。それが、この山北にある墓地です。山北の人々が、いかに人の命は尊いかを私たちに教えてくれます。山北の誇りとして、子どもたちに伝えなければなりません。

このお墓は記念碑として、玉東町が建設したものです。場所は山北小学校に近く、県道バス停に案内板があります。そこから細い道を少し登ったところにあります。かなり大きなお墓で、墓石の左側に説明が書かれています。手入れが行き届き、地域の方が花を供えています。近所の方のお話によりますと、お骨の場所は下の写真の標識の下にあるということでした。

 

薩軍三勇士の墓 (現地の説明書き)
玉東町上白木の楢山、山野政治氏旧所有のの地にある。藤坂吉左衛門宗隆、伊集院良義兼、山倉文左衛門義種の三勇士が葬られている。藤坂、伊集院の両士の命日は明治10年3月10日である。この日、薩軍は木葉の官軍を襲う目的で三ヶ小隊を木留の本営より出動させ玉東町西安寺の辺りで官軍と戦っている。この戦いで三ヶ小隊の中の萩原隊に10余名の死傷があった。藤坂、伊集院と次の山倉の三士は萩原隊士であったと思われる。山倉は3月10日戦傷し、山野家にかくまわれ、5月20日落命した。山野家では藤坂、伊集院両士の墓地に追葬した。現在の墓碑は昭和63年に新たに建てられたもの。三士の位牌は山野家で110余年間祀られてきた。