薩軍仮埋葬地

ここは薩軍戦死者仮埋葬の跡です。場所は横平山への登山道わきです。細い道のため、車は通れません。道の入口には、薩軍兵站(へいたん)の跡があります。そこは西南戦争において、兵士が水を求めて集まった場所です。官軍の遺体は、木葉へ運ばれたと思われます。しかし敗れた薩軍の遺体は、ここで仮埋葬されたのでしょう。戦争が終わった後には、郷里の遺族によって引き取られ、手厚く葬られたと考えられます。

 

この写真が「薩軍兵站の跡」です。登山道はこの左側にあります。

明治10年(1877)の西南戦争において、飲料水として使用された井戸(湧水池)です。玉東町の横平山の登山道にあります。兵站(へいたん)というのは、軍隊の後方にいる支援部隊のことです。食料・水・武器・弾薬等を補給します。薩摩軍も官軍も負傷兵は、水を求めてこの湧水池にたどりつき、何百という兵がここで絶命したということです。