有栖川宮御督戦跡

ここは「丸田公園」です。西南戦争(1877)において、全軍を統率された征討総督有栖川親王が、木葉城跡のこの台地にしばしばおいでになり御督戦に努められたところといわれています。場所は玉東町役場の駐車場から、交番の横を歩いて5分のところです。昭和47年4月1日、町の文化財に指定されました。

この巨大な石柱は、細川護立の書で「征討総督有栖川宮御督戦阯」と彫ってあります。
この台地一帯は南北朝の時代、木葉の地頭職宇都宮一族の居城で宇都宮城とも呼ばれています。太平記では、正平14年(1359)筑後川の戦いで宇都宮三河守隆房が戦死したと伝えられています。(現地の説明書き)

ここからは田原坂、二俣、横平山の激戦の様子が望まれ、遠くは三の岳、吉次、半高山までも見渡すことができて督戦の地として絶好の場所でした。