二俣台地

玉東町中央公民館から東へ進むと、田原坂と同じようななだらかな上り坂が1kmほど続きます。いくつかの集落がありますが、その高台が二俣台地です。坂の途中は竹林もありますが、やがてミカン等の果樹園と畑地が広がります。高台のため、水田は少ないようです。玉東町二俣は明治10年の西南戦争で、激しい戦いがおこなわれました。

地蔵堂の左横に碑があります。西南戦争官軍砲兵陣地跡を示したものです。二俣は横平山にも田原坂にも近い高台であり、官軍にとっては攻撃の拠点となりました。ここ二俣は、JRと県道鈴麦線をはさんで植木町田原坂と向かい合っています。

 

官軍はここ二俣台地に砲兵陣地を置き、砲8門の内瓜生田に3門、近くの古閑原に3門、中間に2門を配置して、田原や七本方面の薩軍を砲撃しました。多いに戦果をあげますが、大砲は昼は戦闘にあたり、夜は薩軍の奪取をおそれて木葉まで運んだといわれています。写真は二俣からながめた横平山です。頂上の展望台が見えます。