官軍本営出張所跡

玉東町二俣の瓜生田(うりうだ)に、官軍本営出張所跡があります。写真正面の石碑が、その位置を示しています。周辺には官軍砲兵陣地が置かれています。西南戦争の舞台となった田原坂の大攻防戦は3月4日に始まりました。7日、官軍は作戦を変更し、田原坂正面よりの攻撃を二俣正面に変えました。10日には木葉にあった本営出張所を、ここ二俣に移しました。

3月20日まで参軍山県有朋を始め、大山・野津の諸将や乃木14連隊長等が集まって会議を開き、戦闘を指揮しました。また官軍の田原坂戦の勝利の一因である「抜刀隊」も14日午前1時に木葉を出発し、ここに到着しました。そして身につけていた財布や書類等をここに預け、刀だけの軽装になり、本営より贈られた酒で出撃の祝杯をあげて出発しました。警視抜刀隊の活躍で戦果をあげて、午後4時、二俣の本営に帰ってきました。

15日の横平山方面の戦いで、野津少佐はここで戦闘の指揮をとっていました。一時は薩軍が本営の数百m近くまで進んできたため危険にさらされましたが、兵にすべて着剣を命じ、抜刀隊とともに一斉に薩軍に向かって突入しました。
横平山は再び官軍の占領する場所となり、「抜刀隊」は血刀を収め、二俣の本営出張所に帰ってきました。3月20日の官軍田原坂突破までの10日間、この本営出張所は田原坂戦の大きな拠点になっていました。
写真は二俣台地からながめた植木町田原坂資料館です。この谷の下に、JRと県道鈴麦線があります。文は「広報ぎょくとう」から転載しました。