木葉官軍本営跡

玉東町役場の東となりに、ひがし公園があります。その横の道路を北へ進み、案内板に沿って右折したところにあります。西南戦争の状況によって、薩軍も官軍も本営が移っています。木葉官軍本営もその一つです。3月20日には官軍が田原坂を占領したので、そのあと参軍陸軍中将山県有朋が本営をここに設け、作戦司令やこの付近の戦後処理などを指令したところです。当時は有栖川宮総督をはじめとして、野津、三好、大山などの各旅団長や参謀、副官等がいくどとなくこの本営に参集して軍議を開きました。

 

西南戦争において官軍が木葉にいた薩軍を駆逐したあと、西南戦争の三大激戦地といわれる田原坂、横平山、吉次峠の戦いの本営です。もともと木葉には第一旅団(野津少将)と第二旅団(三好少将)の本営がありました。そこから各陣地へ指令されましたが、3月20日に田原坂を占領しましたので、旅団の本営は七本へ進出したのです。