田原坂の戦い

3月4日から3月20日までの17日昼夜の戦いを「田原坂の戦い」と言います。

3月4日  官軍は田原坂と吉次峠の双方を攻め、(第一次総攻撃)吉次峠を地獄峠と呼ぶほどここで打撃を受けました。以後、官軍は田原坂攻略に全力を尽くすことになります。

3月6日  第二次総攻撃の本道正面攻撃もうまくいかず。

3月7日  第三次総攻撃では、本道の他、左右から同時に攻撃しますが、官軍苦戦。

3月8日  二俣口の激戦で田原坂西方に対峙する二俣台地を占領。砲台をここに築き、以後砲撃の後、谷を渡って、丘の西側を攻める作戦に変えました。

3月9日  横平山・五郎山の激戦、田原本道は一進一退。

3月11日  官軍第四次総攻撃、横平山方面攻撃、激戦。

3月12日  二俣・横平山激戦。

3月13日  薩軍は抜刀遊撃や横平山からの横激で官軍を悩まします。これに対し官軍は警視庁抜刀隊を創設して反撃。

3月14日  官軍は七本の薩塁を突破、植木への街道を横断するが薩軍も反撃し、この方面は大激戦。

3月15日  横平山死闘、七本も激戦。

3月17日  官軍第五次総攻撃。官軍抜刀隊活躍、植木街道へ数十歩に迫る。薩軍銃弾には石が混じり始めた。

3月18日  官軍主力は横平山を手中に収め、七本柿木台場(現薩軍墓地)前面の丘上をほぼ占領。薩軍の生命線である付近の植木街道は風前の灯火。

3月19日  官軍は陽動作戦で吉次峠を攻撃。七本柿木台場方面の熊本隊の一部はワナにはまって、吉次へ兵を送り、不足を新来の高鍋隊に交代。

3月20日  官軍第六次総攻撃。七本柿木台場を突破、田原坂敗れる。官軍は追撃し植木へ、薩軍は向坂にて反撃、官軍を包囲し二百人近くを殲滅。薩軍は向坂の丘に滞陣し、官軍の熊本城進撃を阻止。

植木町在住郷土史家・勇 知之氏の協力により、著書「志に生きた男たちの足跡」から転載いたしました。