西南戦争の分析

西南戦争における官軍の戦死者数分析を、植木町郷土史家 勇 知之氏がなさいました。その資料「データで見る西南戦争」をお借りすることができましたので、一部をご紹介します。勇氏は、現段階では官軍戦死者6403人、薩軍戦死者6765人が名簿を伴った最も信頼できる数字であると書かれています。そこで両軍の戦死者合計は、13168人となります。

1.熊本県内の戦闘について

県北の戦い・官軍戦死者合計3620人

城北の戦 2月22日〜2月27日 戦死者合計 107人
熊本城攻防戦 2月21日〜4月15日 戦死者合計 279人
田原坂の戦 3月3日〜3月20日 戦死者合計1687人
植木・木留の戦 3月21日〜4月15日 戦死者合計 909人
山鹿の戦 2月24日〜3月22日 戦死者合計 387人
隈府の戦 3月20日〜4月15日 戦死者合計 234人

県南の戦い・官軍戦死者合計1230人

城東の戦 4月16日〜4月30日 戦死者合計351人
背面軍の戦 3月19日〜4月17日 戦死者合計435人
人吉方面の戦 5月1日〜6月14日 戦死者合計158人
佐敷・水俣・大口の戦 4月28日〜6月30日 戦死者合計286人

 

2.戦死者の多い日

3月20日 田原坂陥落 戦死者合計289人
3月15日 横平山死闘大激戦 戦死者合計254人
3月14日 二俣・長窪前面大激戦 戦死者合計181人
3月7日 田原坂本道激戦 戦死者合計161人
3月4日 吉次峠・田原坂三面攻撃 戦死者合計111人

 

3.まとめに代えて

西南戦争における官軍戦死者総数は6711人。そのうち熊本県内では70%(4890人)が戦死している。西南戦争の主たる舞台は熊本県であった。また県内でも、県北における戦闘で52%(3660人)が戦死。大半は県北の戦いで戦死していることが判った。約半数の官軍戦死者のうち「田原坂、植木の戦」において、37%(2596人)が戦死している。雌雄を決する両軍の戦闘がこの方面の戦いであったことが、数字をもって裏付けられたといえる。

さらに、このうち田原坂戦のわずか17昼夜において、24%(1987人)が戦死している。田原坂の戦いこそは、西南戦争における一大死闘がくり返された、最も重要な戦いだったのである。ここに敗れた薩軍は植木、城東と死力を尽くして抵抗した。その気力たるや敬意を表せざるを得ない。しかし補給のない薩軍は保田窪大激戦を最後に敗走軍と化した。以後県南の戦闘18%(1230人)、県外の戦闘26%(1821人)を出し、ついに西南戦争は9月24日をもって、7ヶ月近い戦闘を終えた。・・・・・・・・・

・・・・・・・・手作業で数を集計し、計算した。こまかい数字や計算には多少の手違いがあろう。しかし、戦闘の評価を変えるような違いはないと確信する。この小冊子を一里塚として、さらに西南戦争への関心が高まり、その正確な裏付けによる評価がなされ、戦争の本当の姿と意義が追求されれば幸いである。
何よりもそれが戦死者に対し、我々のなしうる唯一のことだと思う。西南戦争の英霊の安らかな眠りを祈ってやまない。