あの外套を打て

薩軍一番大隊長・篠原国幹は現役の陸軍少将でしたが、西郷隆盛の下野に殉じて中央を去りました。私学校の最高幹部のひとりであり、西郷の右腕ともいうべき存在で、眼光は鋭く、寡黙でしたが、接する者はみな畏敬の念を抱いたといいます。

田原坂に劣らぬ激戦が展開された吉次峠の戦闘では、銀装の太刀を帯び、フランス式の制服と黒ラシャの外套をまとっていました。ひるがえした外套の緋色の裏地は目にも鮮やかで、戦闘では常に陣頭に立って指揮するさっそうとした英姿は、遠くからでも目立ちました。

対峙する官軍の中に、薩摩出身で近衛第一連隊の江田少佐がいました。江田少佐はかつては篠原から親しく指導を受けており顔見知りでしたが、運命の皮肉か、濃霧のなか前方に鮮やかな手際で指導する篠原の姿を見つけました。夕刻もせまり、友軍の劣勢を挽回するには篠原を倒して薩軍に動揺を与える以外にないと判断し、狙撃兵らに一斉射撃を命じたのです。

このとき篠原は42歳。薩軍随一の名将のあまりにも早い死は、その後の薩軍の運命を暗示しているかのようでした。