田原坂公園・2

明治10年の西南戦争で、3月4日から3月20日までの17日間にも及ぶ死闘が、田原坂と二俣で繰り広げられました。官軍と薩軍の兵士合わせて、14000余名の尊い生命が奪われてしまいました。その霊を慰めるために、この「西南戦争戦没者慰霊碑」が建てられました。写真の横に長い壁面には、調査によって分かった戦没者の名前が書かれています。官軍・薩軍それぞれに県別に刻名されています。

田原坂公園の中に、西南戦争における官軍と薩軍の様子をしめすおおきなパノラマ模型があります。長さ10mほどでしょうか。その模型を見れば、当時の戦闘の様子がくわしくわかります。戦場となった吉次峠・半高山・横平山・田原坂・木葉・七本・木留等の位置がたいへんわかりやすく造られています。

田原坂は、官軍薩摩軍療法にとって多くの戦死者を出した西南戦争最大の激戦地でした。田原坂での官軍の戦死者は、一日100名にものぼり、官軍西南戦争での戦死者の25%が田原坂の地で戦死しています。