田原坂・二の坂

一の坂を抜けると、二の坂に出ます。二の坂は勾配がゆるやかで左側はがけですが、右側は見晴らしがよくなります。官軍はこの道を一気に駆け上がって攻略しようとしましたが、高い土手や正面の雑木林に隠れていた薩摩兵に銃撃されました。

 

二の坂からはときおり平地がみえます。ここに県道鈴麦線とJRが通過しています。その奥が二俣の台地(玉東町)になります。そこに官軍は砲台の陣地をしき、田原坂に向けて大砲を撃ちました。

ここを過ぎれば、いよいよ三の坂です。現在は小さな道ですが、江戸時代では玉名市高瀬から熊本市へ通じる重要な道でした。大砲を引いて熊本へ行くには、この道しかなかったのです。もちろん明治10年(1877)、西南戦争が始まったときもそうでした。