田原坂・三の坂

二の坂に続いて、三の坂になります。三の坂はゆるやかな坂道で、もうすこし進めば頂上になります。道の東側は土手になっていますが、西側はがけで見晴らしがよく遠くを見ることができます。丘の上に陣を張っていた薩摩軍から見れば、下から進んでくる官軍に対しては狙撃しやすい場所ということができます。

 

三の坂には、二つの石碑があります。西南戦争で活躍した谷村計介が銃弾に倒れ戦死したことを示す「谷村計介戦死の地碑」と、「十津川村戦没者慰霊碑」です。篭城軍のたてこもる熊本城を脱出し、篭城の様子を高瀬の官軍本営に伝えた谷村計介は、田原坂攻撃の軍に参加しました。そして3月4日に、ここで戦死したのです。

土手とがけの地形になっていて、周辺は雑木林であったため見通しも悪く、官軍の攻撃は効果がなかったようです。薩摩軍はここ三の坂に、幾重にも陣を重ねていたということです。