谷村計介戦死の地碑

「谷村計介戦死の地碑」は、田原坂の三の坂にあります。県道31号線(鈴麦線)を北上すると、田原坂公園への入り口が見えます。ここからが、加藤清正が造った田原坂です。一の坂、二の坂、三の坂と続いて田原坂公園に着きます。谷村計介は、この三の坂で戦死したということです。明治10年3月4日、田原坂の戦いで戦死しました。25の若さです。

谷村計介の碑の近くにもうひとつの碑があります。これは、「十津川村戦没者慰霊碑」です。

現地の説明書きを紹介します。

宮崎県諸県郡倉岡の生まれにして、明治5年徴兵により歩卒として熊本鎮台に入隊する。明治7年2月佐賀の乱に際して戦功をあげ、6月陸軍伍長となり、8月第11大隊に属して征台の役に従軍した。明治10年西南戦争に際しては熊本城内にて守備軍として活躍し、命により密使として征討軍本営との連絡にあたり、使命を果たし、再び第一線に参加して、3月4日田原坂にて戦死する。25才