乃木大将記念碑

明治10年(1877)2月22日、小倉駐屯の熊本鎮台歩兵第14連隊(連隊長乃木少佐)は、南関・高瀬を経て熊本へ前進中、植木南方1kmの向坂にて薩軍より攻撃をうけました。薩軍は向坂本道を中心に守る官軍を三方から包囲しました。もはやここを守れないと考えた乃木少佐は、ここ千本桜へ撤退したのです。

この戦いで連隊旗手河原林少尉は戦死し、連隊旗を奪われました。乃木少佐は、敵中に突入して軍旗を取り戻そうとしましたが、部下にいさめられ取り戻すことができませんでした。これを恥じた乃木少佐は自殺をくわだてますがそれもできず、苦悩の末やがて死を超越し、第一線で奮闘しました。

 

日清・日露戦争においても死ぬことができなかった乃木少佐は、明治天皇崩御を見届けて殉死しました。その遺書には死に場所を求めた一生が記されていました。(西南の役 歴史紀行より)

乃木大将記念碑の横に石碑があります。これは舞尾の板碑とよばれるもので、昭和43年7月17日に植木町指定文化財になっています。安山岩の板状自然石で縦も横も2mほどあります。碑の正面には六体の地蔵立像と坐像一体が線刻されています。