河原林少尉戦死の地

植木町向坂に県警機動隊の建物があり、その横を北に向けて進む道が豊前街道です。この道は植木天満宮まで続きます。その途中に河原林少尉戦死の標木が建っています。乃木少佐の命令で軍旗をもった河原林少尉は、向坂の戦いで戦死し、そして軍旗は薩軍の手に渡りました。

明治10年(1877)2月22日、小倉駐屯の熊本鎮台歩兵第14連隊(連隊長乃木少佐)は、南関・高瀬を経て熊本へ前進中、植木南方1kmの向坂にて薩軍より攻撃をうけました。薩軍は向坂本道を中心に守る官軍を三方から包囲しました。もはやここを守れないと考えた乃木少佐は、千本桜へ撤退したのです。

22日の向坂で敗れた官軍・乃木連隊は千本桜へ撤退し、さらに木葉へ退却します。木葉でも薩軍に囲まれ、政府軍は西へ逃走しました。得意の斬り込みと勇猛さで官軍を破った薩軍は、27日に高瀬を攻めようと総力をあげて高瀬口に迫りました。