玉名市高瀬

玉名市高瀬は、西南戦争で戦場の一つとなった場所です。熊本城をめざし南下する官軍と、政府に尋問の筋ありと北上する薩軍が激しく戦ったのです。両軍の激戦は稲荷山を中心として繰り返され、西郷の末弟西郷小兵衛が戦死するなど官軍有利のうちに戦いは進行しました。

兵力・軍需の欠乏で敗戦した薩軍は、植木や木葉まで退却しました。薩軍がもっとも北上したのはここまでで、以後守勢にまわることになります。

玉名市を流れる大きな菊池川に沿って、裏川があります。町並みは、上町から下町にいたる本通り筋があり、人工の川である裏川から直接荷物の上げ下ろしができるようになっていました。裏川にかけられたこの眼鏡橋は、県指定の史跡になっています。当時の町の玄関として、象徴的な存在でした。橋は、アーチの径(スパン)が6.7mある二重橋で、長さは19mあります。基礎からアーチ頂上までの高さは3.3mあります。江戸時代末期の1848年、高瀬町奉行高瀬寿平らによって造られました。

6月の第1土曜日から「花しょうぶまつり」が始まります。高瀬裏川は、水辺公園としてきれいに整備されています。玉名市民の方はもちろん、遠くからこの花しょうぶを見学に来る方も多いのです。5月下旬から6月上旬にかけて、13000株の花しょうぶが咲き誇ります。この公園には、1848年に築造された高瀬眼鏡橋をはじめ、4本の石橋がかかっています。期間中の夜はライトアップされます。