谷 干城 の像

谷干城(たに たてき)は、明治10年(1877)の西南戦争の舞台となった熊本城の長官です。明治6年(1873)に熊本鎮台司令長官に就任しました。西南戦争では、熊本城を取り囲んだ薩摩軍に対して、約2ヶ月にわたって城を守り続け戦功をたてました。谷干城は土佐藩出身の軍人です。

西南戦争後は陸軍中将になり、退役後は政治家として農商務大臣を務めました。しかし、井上馨外相の条約改正案や欧化主義に反対して辞職しました。以後、国粋主義、農本主義的立場から、藩閥政府に批判的態度をとるようになり、日露戦争に反対の立場をとりました。

熊本城の天守閣からながめた花岡山です。西郷隆盛は川尻町に到着後、二本木や北岡神社に本陣を置き、やがて花岡山の中腹に砲台をおきました。そこからこの熊本城に向けて大砲を撃ちましたが、実際には弾は届かず新町あたりに落ちたようです。当時の旧式の大砲は射程距離が短かったためです。