花岡山薩軍砲座の跡

西南戦争のとき、薩軍は花岡山に大砲を据えました。その理由は、熊本城を攻撃するために都合のよい地形だったからです。川尻町に到着した薩軍は、次に二本木に本営をおきました。二本木からさらに北岡神社に本営を置き、攻撃の場所を花岡山と決めたのです。

 

薩軍の大砲は、ここから熊本城に向けて発射されましたが、実際には届かなかったようです。説明書きには、新町や段山に砲弾が落ちたようだと記されています。現在は木が生い茂り、熊本城をはっきり見ることができません。

明治10年2月22日の朝、熊本城攻防の火ぶたが切って落とされました。52日間、熊本城は強力な薩軍の攻撃にたえました。当時の熊本鎮台司令長官は、谷 干城(たてき)です。