光 永 寺

光永寺は熊本市の池田にあり、旧国道3号線沿いです。熊本大学付属小学校の北側で、その隣は往生院です。西南戦争では、熊本城を取り囲む薩軍の営所となりました。熊本城の官軍は、何度も出撃しましたので、ここで戦闘が行われました。焼失しなかったので、当時の弾痕が残っています。

山門の弾痕   本堂階段の柱

光永寺は、もと鹿本郡鹿本町にありました。慶長年間、加藤清正は熊本城築城のときに当時の住僧了寂に命じて、ここに移転させました。お寺は熊本城築城の余材で建造されたといわれています。特に総ヒノキ造りの山門は立派です。

光永寺は西南戦争の舞台として有名ですが、放牛上人の寄進した石臼もしられています。山門をくぐりますと、左側に高さ1mくらいの石のうすがあります。熊本県内に100体以上の地蔵を作った放牛は、手水鉢や石臼等もつくり、お寺に寄進しています。放牛が活躍した時代は、1720〜1730年代になります。