熊本城の水攻め

西南戦争の戦いの中で、熊本城は水攻めにされています。明治10年3月26日のことです。薩軍は井芹川の石塘堰を止め、熊本城の水攻めを始めました。熊本城総攻撃から一ヶ月が経過していましたし、田原坂では薩軍が敗れて木留での戦いが行われていたころです。兵の消耗も激しく、熊本城を囲む兵力にも不足をきたし始めていたころです。

 

この水攻めでどれだけの効果があったのかはわかりません。しかし、お城全体が高台にあったことを思えば、水浸しになることはありません。加藤清正はそのことも考慮して築城したはずです。坪井川や井芹川が氾濫したときのために、遊水地も造られています。

水攻めの方法は、川に杭を打ち土のうを積んで水の流れを止めるというものでした。その労力を考えると大変なことだったと思います。熊本城は日本の三大名城の一つと呼ばれていますが、天守閣などの構造物だけでなく、お城の地形・場所なども含めて考えればよいと思います。