上田休の鎮撫隊

 

上田休(うえだ やすみ)は旧藩時代の川尻奉行でした。薩軍が川尻にやってきて本営を置いたとき、川尻町民は大変困っていました。そこで、上田休は「川尻鎮撫隊」という組織をつくり、町民の保護と治安維持にあたりました。隊員が戦争に巻き込まれることを極力避けたため、薩軍から相当の圧力を受けました。

西郷隆盛ひきいる薩軍から兵の募集をするよう依頼されても、断固拒否しました。しかし、西南戦争後の裁判では、敵に協力したという冤罪(えんざい)を受け、死刑になりました。川尻町民は現在でも、町を救った偉人として尊敬しています。

上田休の徳を慕い、熊本市横手の禅定寺におおきな頌徳碑が建てられています。

道路反対側は、「川尻御倉跡の船着場」です。江戸時代の、年貢米を集める船着場として大変栄えました。川尻には奉行所もあり船運の要所でしたが、明治以降は汽車による陸上運輸になったため、ここは使われなくなりました。