宮司のご挨拶
我が国は神の末なり神まつる
昔の手振り忘るなよゆめ
厳かに保たざらめや神代より
受け継ぎきたる浦安の国
明治天皇御製
私達の国、日本は開闢以来、天地自然に神々の存在を認め、恐れ謹み、畏敬の念を捧げて、神祭りを厳修してまいりました。祖先もまた自分達を守り伝え、子孫の繁栄を願われた親神であり、祖霊となり守護される存在として信奉してまいりました。聖徳太子の頃に仏教が我が国に入って来たときも、もともと仏教になかった、神道の「祖先を敬う心」を習合して、日本にあわせた仏教に変化して定着したのです。それ故に日本人の誇れる信仰・神道を、もっともっと広く理解をしていただきたいと思うものです。
清め塩問題
これまで神道も仏教も他宗教もお互いを尊重しあい、他宗教を非難・冒涜するというようなことは、長い歴史の中で、行われていなかったのですが、最近、皆さんもお葬式などの時に気づかれたように、特に浄土真宗東本願寺派(大谷派)では、ことさらに清め塩の件を「故人を冒涜するものだ」との一方的な見解を元に、神道に対し非難を行っています。
清浄がゆえに
家族の者が亡くなると、玄関に「忌中」という張り紙を貼りますが、これもまた浄土真宗の方々には、気に入らないようですので、一言。忌中の「忌」ということをご存じか。忌は「いみ」と読みます。従って忌み窮まる聖域・特別な場所であることを表します。伊勢神宮に神饌(神さまのお食事)を御調理するところをがあり、これを「忌火屋殿」といいます。マッチやライターなどを使うのではなく、縄文人が使ったのと同じ火をおこす道具「火切り具」を使って「忌み火」を切り出し、清浄にも清浄を期して御神饌を調理するのです。このようにして御調理された天照大御神にお供えする御神饌、果たして穢れているでしょうか?
居酒屋の玄関口にある盛り塩(立て塩)。これってお客様が穢れているから?そんなことを店主が考えてやっているのだとしたら、お客への冒涜。そんなんじゃないです。これから店内は、大切なお客様に喜んでいただく大切な領域。だから店主も心して最大限の注意を払って調理やおもてなしを行うのではないでしょうか。そのような心が薄れ、「利益さえ上げれば」というようなお店に、食中毒などの事故がおこるのでは?
普段、私達が神社をお参りするとき、入る時には手水を使い、祓いを受けてお参りしますが、出るときにはそのようなことを行いません。しかし、天皇陛下が伊勢神宮を御親拝されるとき、実は行在所(あんざいしょ)をお出ましになり、第2鳥居のところでお祓いをお受けになり、御親拝が終わられたのち、同じく第2鳥居のところでお祓いをお受けになります。お参りがお済みになった天皇陛下がお祓いをお受けになるのは、お参りで穢れたから?答えは明瞭。先述の居酒屋の例のように、「ここからは特別に清浄なところ」という境界を出入りするときは、お祓いを受ける・一礼を行う・清めを行うのが本義であって、普段は省略している。だから、葬儀の際、清め塩で身を清めてから斎場に入り、出るときにも清め塩で清めるのが本義。これを普段のお参り同様省略しているから、誤解が起こってくる。神道本来の清め塩の大切さをご理解いただくならば、清め塩を否定する浄土真宗自身が故人を侮辱していることにほかならず、自分たちでたき付けた火で、やがては自分自身の矛盾をさらけ出してしまう結果になることでしょう。
以下『 』内は、京都 N神社 宮司 Kさんからのメーリングリストへの情報から
『本日真言宗大本山広隆寺(国宝第一号弥勒菩薩の寺)長老清瀧英弘大僧正(先々代貫首)の葬儀があり、参列してまいりました。真言宗総本山仁和寺門跡猊下御導師のもと厳粛な葬儀が行われ、粗供養には清め塩をつけておられました。なぜこんなことを流すかといいますと、清め塩は迷信だ、仏教本来の教えにない、死者を冒涜する、差別につながるなどど仏教側の発言があれば、「このような事例があるが、あなたの説なら導師の総本山仁和寺門跡と喪主の大本山広隆寺貫首は迷信を信じ、仏教本来の教えに反し、死者を冒涜して、差別していることになりますなあ」と、逆襲していただきたいからです。昨年の臨済宗大本山天龍寺元宗務総長田原周仁大僧正の御葬儀でも清め塩をつけておられました。清め塩廃止運動の中心になっているのは浄土真宗(特に大谷派)で他宗派との間にはかなり温度差があります。真言、天台、日蓮、臨西などを引き離して、清め塩廃止の動きにストップをかけたいものです。』
同じ仏教でも宗派が異なれば、清め塩を使うところもあれば、極端な廃絶運動や神道への非難を行うところもあるようで、浄土真宗(特に大谷派)が、今後このような運動を続けるかぎり、「・・・真理教」のように社会から隔絶した教義に基づく異常宗教になり果てる結果は、明らかのようです。