22時40分には、一般公開も終わった。一般公開が終わったころ、ぞくぞく人が集まってきた。小林J氏が来た。松本さんが久しぶり来た。立川さんも来たが、清和高原天文台と連絡をとっていてその後、どこかに消えた。 桑岡さんがお好み焼きの差し入れをもって来た。中尾T君が来た。中島先生は、飽田公民館で観望会をやった後、来た。
「どれどれ」一仕事した艶島さんは、おとといお客さんからいただいたどら焼きを食べる。「今日の晩飯はこれだけだ〜」というので、おこのみ焼きをレンジでチンして2人で食べた。
一方、観測室では小林J氏が、WEBページの気象衛星ひまわりの最新の画像を見ながら、これからの雲の予想をしていた。熊本では、一般公開中晴れていた空も、また雲が多くなってきている。これから冬型の気圧配置になり熊本では雲が多くなり、反対に太平洋側は良くなると判断したようだ。「よし、宮崎だ」「だれか、宮崎に行く人はいないか!!」この呼びかけに、急遽5人の決死の観測隊が組織された。
23時00分、これまた臨時の壮行会をひらき、観測の成功と5人の無事を祈って全員の万歳三唱で送りだす。
送りだしたあと、天文台残留組は観測の準備をはじめる。
熊大天研の学生の半分は観測条件のよいところをねらって阿蘇・産山方面にいっているらしく、天文台には6人程きている。古墳公園の一角にこたつを用意する。 若者達は、1晩ここですごすのである。電源は、天文台玄関わきのコンセントから電源リールを中継中継してひっぱっている。あんまり強く引っ張っているので、玄関前はコードが宙に浮いて危ない。電源コードはテンションが高いが、学生らのテンションは雲ばかりの空であがりようがない。
高田のほうは、40cm望遠鏡に同架して、I.I.(イメージ・インテンシファイア)で流星のビデオ撮影にいどむ。ついでに、観測室にこたつを設置する。しき布団の下には銀マットを敷く。防寒(望観?)対策はこれで必要にして十分である。
設置したばかりのこたつに桑岡さんと入って空を眺めていた。観測・観望の準備はできたが、空は雲が多くなってきてダメである。
何時ごろかはっきりしないが、福岡の青少年科学館から電話がかかってきた。向こうは2000人ほど集まっているそうである。
25時をすぎたころ、高嶋さんが訪ねてこられた。観測室に案内する。
その後、テレビ熊本取材班から電話が入る。天文台がどこにあるかわからないという内容だった。場所を電話で教え、駐車場まで、迎えにいく。
そのときまでは駐車場にいくとすぐわかるだろうと考えていたのだが、
一歩天文台をでて公園に入るとギョっとした。あたり一面、人、人、人がきているのである。ある者は寝ころんで、あるものは腰掛けている。駐車場も車でいっぱいだった。呼びかけて、やっと取材班を見つけた。聞くと、まだ天文台が藤山にあるものと思っていたそうである。
取材班を観測室にあげ、ビデオの出力を取材班のデッキにわけてあげる。でもこんな天気だから、流星が映るかどうかわかりませんよと、念をおす。

ところが、なんか空が晴れだした。晴れだしたといっても、雲9に星空1である。雲の間隙をぬって流星がとびはじめた。どうも、しし群でないやつも混じっているようである。流星が流れるたびに、観測室の歓声とともに、公園からの歓声も聞こえてくる。
それでも、高田はこの晩4個ほどしかみれなかった。
一方そのころ、九州大学の山岡均先生が、誰かおらんかと天文台の玄関まできていたそうだが、「なんだか忙しそうだった」のでそのまま帰っていかれた。
もう空は雲で完全に覆われている。その後、退屈のあまりうつらうつらと30分ほど眠っていたようである。
相変わらず空は曇天である。29時近くまで粘っていたが、もうそろそろ薄明がはじまる頃になって、あきらめて撤収にかかった。学生さんもこたつを引き払って集まっていた。お客さんからもらった。包みを開けると、にぎりすしが詰まっていた。 「おー、すしだぁ」欠食児童たちは群がってむさぼるように食べる。よっぽどおなかがすいていたようだ。
朝のNHKテレビで流星群の報道を見ていた。この頃には、もうみんな帰ってしまっていた。塚原公園ももう誰もがひきあげていた。すでに朝の散歩に来ている人が見受けられる。
今日はこれから東京出張。9時に飛行機に乗らなきゃいけない。まだ時間があるので、バッテンバーデンの湯でさっぱりしてから行こう。そう思って、車に乗り込んだ。健康管理のためにつけている万歩計を見ると、13200を指していた。一晩、天文台で、6700歩も歩いた計算になった。
終わり

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