12月17日更新しました。
森林生態系は五島七嶽へへ、平日コースは中止、森を学ぶ面白塾・花園公民館は黒岩山へ紅葉外へ

五島七嶽登山の後は五島を一周しました。詳しくはムービー五島を見て下さい
見たい箇所をクリックすべての写真は画像をクリックすると大きくなります
◆◆◆◆◆◆◆◆目次◆◆◆◆◆◆◆◆
▲F・E・C 五島七嶽 みんな良く歩きました
○管理局広報植物連載 カジカエデ
■花園公民館 黒岩山へ
●サントリー林業体験きれいな森に変身しました
▲平日F・E・C 中止
美咲誕生日 ちに待った誕生日を迎えた
■森を学ぶおもしろ塾 黒岩山から薬師温泉
育成教室 3つのクラフトに挑戦した
●サントリー森と水の学校
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○今月登る山
○今月の行事
○今月咲く花
先月登った山
目次へは「戻る」ボたんをクリックして下さい
○前 月に行った行事の概要報告
●森を学ぶ面白塾 黒岩山紅葉狩り 11月16日
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フイルムルックスの出来上がりの前で記念写真。表紙の写真もご参考に見て下さい
11月16日 森を学ぶ面白塾と花園合同黒岩登山。
昨年から花園のふれあい教室の紅葉狩りは予算の関係でなくなっていた。森を学ぶ面白塾の申し込みも少なくなっていたが森への参加者は今回、素人ばっかりなので九州森林インストラクター会の皆さんに協力を願い7名が対応することとなっていた。
ところが蓋を開けてみたらたったの13名の申し込みであった。やむを得なかったが参加者2名に一人の森林インストラクターがつくこととなった。
急遽、大型バスからマイクロバスに変更して実施した。バスの中では植物について説明をした。天気は晴れていたが風が強かった。57号線を登りミルクロードへと進み兜岩でトイレ休憩した。阿蘇谷が雲海となっていた。展望台へすすみ雲海を見学した。雲海は霧であること、霧と霞の違いは同じ水蒸気でできているが視界1km以内は霧、視界が1kmを超えると霞と呼ぶことを説明した。
休憩の後、ミルクロードからヤマナミハイウエーへ進み、9時20分に牧の戸峠に着いた。身支度をして準備運動を済ませて9時40分に出発した。熊本市は晴れていたのに霧が流れており視界がなかった。そんな中を20名が三々五々に黒岩山を目指した。
年齢層がF・E・Cよりも一段上なので歩き方やスピ−ドを考えて進んだ。急坂になった。超スローペースで進んだ。ミヤマキリシマはヤマツツジであるが標高がたかくになるに従って葉が小さくなり、花びらの斑点が無くなってくる。種としては違わないのであるが特別にミヤマキリシマと呼ぶことを説明した。アセビの話、ノリウツギの話、リンドウノ話など出てくる植物について説明しながら進んだ。中には熱心にメモを取られる人もいたので説明にも熱が入った。
傾斜を登り上がり一呼吸を入れて黒岩山へと進んだ。平坦な道を10分足らず進んだら黒岩山と言われる岩山に着いた。あっけない頂上であった。ここで記念撮影をした。私たちが頂上を楽しんでいたら別の5名のグループが登ってこられたので交代して下り始めた。
今度は反対に急坂を下ることになったので十分に注意しながらゆっくりと下った。そんなこともあって牧ノ戸峠から300mにある東屋には11時30分に着いた。少し早かったが昼食をした。
昼食後は牧ノ戸峠から自然歩道巡りとなった。紅葉には時期が遅くなっていたがフイルムルックスをするだけの紅葉は採集することができた。ヤマナミハイウエーから森に入りタデ湿原への道は紅葉が最高であった。特に黄色の紅葉が素晴らしかった。ミヤマシキミが濃い緑の中に赤い実を付けて紅葉の森に彩りを添えていた。自然歩道は森の湿原にはいると木道となっており歩きやすかった付近一帯にはミズゴケがあった。鮮やかな緑色の水苔も見られたがほとんどは薄黄色になり冬の寒さに耐えていた。
更に進むとタデ湿原の中は広い木道となっているが枯れたススキ野原となっており飯田高原全体が冬一色になっていた。こんな寒い日なのに観光客がいっぱいであった。ビジターセンターでフイルムルックスをするつもりであったが落ち葉を拾ったとはいえ少々気が引けた。場所がないので困った。
困ったときの宇治野さん頼みで、宇治野さんに交渉していただき菊池市の薬師湯へ行くこととなった。
温泉にも入りたかったので渡りに船であった。
約1時間係って薬師湯へ行き、旅館のご厚意で部屋を借りて全員で素晴らしいフイルムルックスができた。全員で出来上がりを見て記念撮影をして終了した。全員が温泉に浸かり思い出深い紅葉狩りなった。写真を見ていただくと分かるように今回の参加者は素晴らしい才能の持ち主ばかりで出来上がりは絶品ばかりであった。
参加者は少なかったが森林インストラクターはしっかりスキルアップとなった。この経験を2月の花園の最終回のフイルムルックスに活かしたいと思っている。皆さんご協力ありがとうございました。
●花園 森とのふれあい教室 11月16日 フイルムルックス
森を学ぶ面白塾の皆さんと一緒に黒岩山へ行きました。写真と原稿は森を学ぶ面白塾を見て下さい
● F・E・C 五島七嶽 11月3−4日
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頑張りました。下りも時間をかけてスリル満点で下山しました
F・E・C 特別例会 五島植物探索 平成20年11月3日〜4日
11月3日
五島卯へ行くこととして9月15日から計画していた。F・E・Cの特別計画に付き物の台風が直接五島へ向かうではないか。これは困った。連絡によると行きはよい良い、帰りは責任を持たないとの連絡であった。涙をのんで中止としたいがみんなの盛り上がりを見ると中止するには忍びないことから延期することとした。
台風が絶対に来ない11月に延期した。いろいろ意見を聞いて今年は九州森林インストラクター会の恒例の秋の研修は翌年の2月に延期していたので、一番晴れの多い11月3日を中心にして出発することとして計画した。32名中3名が参加できないようになり新たに2名が加わり31名で実施することとなった。
11月3日午前7時20分、交通センターに着くとほとんどの人が来ていた。元気な朝の挨拶をした。タビックスの村上さんも同行されてくださるので肩の荷がだいぶ軽い。いつもの遅れがちの村尾さんはバスが城南のバスだったのでバスに乗ってきた。
全員がバスに乗りいざ出発となった。31名プラス村上さんの32名がバスに乗った。村上さんから挨拶をいただいた後、私から今回の例会のいきさつや現地についての説明をした。高速に乗る頃は説明も終了していた。いよいよ高速をただひた走りに長崎へ向かうのであった。
長崎まではバス乗車の時間が長いことからビデオを用意してきた。まずは私たちの仲間で流行しているムービーを井上さんがビデオテープに編集してそれを貰っていたので、それを上映した。この映像は緒方先生が撮られた写真を井上さんがビデオで撮り直して編集した藻のだった。色鮮やかで画面が動き、音楽が流れるので皆さんが見入ってしまい、きれいな花や風景が現れると大きな感嘆の声が挙がった。
それが約20分程度で終わると村岡さんがF・E・Cの例会の模様をビデオで撮り半年毎にまとめられたビデオを映写した。映像を見ながらF・E・C例会の思い出をにぎやかにおしゃべりしながら進み瞬く間に金立のドライブインに着いた。
15分の休憩をして出発した。次もビデオを見ながら進んだ。金立から後はビールのみの許可が下りた。早速左党は片手にビール、片手につまみとなりビデオはかかっているが自分たちの話に盛り上がりだした。途中で臨時おしっこ停車をして、定刻11時に長崎港に到着した。
金立で渡された弁当を長崎港で食べることとしていたので2回の特別室でビールを片手に弁当を食べた。11時30分の高速船で出発したのであったが、用意していた48本のビールは完全に飲み干していた。F・E・Cの会員がいかに元気であるかの証拠でもあった。
海はべたなぎで船は快速に時速80kmで順調に進んだ。ビールを飲み、弁当を食べたので昼寝の時間に最高であった。朝が早かったこともあって深い眠りにつき五島が見える頃やっと起きた。
予定通りに13時15分五島福江港に着いた。バス運転手が迎えに来ていたので降りたところで集合であったが先走って進んだ人もおり、ああだこうだとそれはそれはにぎやかであった。
バスには地もとボランテアの説明案内者が乗られ説明をしていただくこととなった。まずは五島観光歴史資料館へ向かった。五島は歴史的に朝鮮や中国との交わりが深く、さらにキリスト関係の史跡名勝、教会が多いことから歴史感覚をしっかりしていないと名称旧跡の説明が分かりづらい。
資料館にはあらかじめ遣唐使関係、キリシタン関係、倭寇、元寇関係の3つに限って説明をお願いしていた。話は通じており入場料を払ってすぐから女性の案内の人が説明された。爺さん婆さんなのでバスの中で勝手な発言はしないようにと話していたが説明にかぶせるようにして話が出てくるので、話を聞くようにと注意しながら説明を聞いた。映像を交えての話であったからわかりやすかった。
時間通り14時には説明をうち切って貰い資料館を後にした。11月、日の沈みが早いので、明るい夏と違って夕方は早く暗くなるので明るい内に観光を終わる必要があったので時間を守って出発した。
大瀬崎灯台へと向かった。ボランテアの案内人は資料を見ながらいろいろ詳しく説明いただいた。本人が云うように本当の素人だから説明が、隣のおっさんと世間話をしているようで面白く質問も適当に入れると真剣に応えてくれるのでバスの中は大にぎわいであった。
一番面白かったのは歌を歌われたのであったが本人が自分が一番下手だと言うことを知っているらしく歌を歌ってもメロデーが無く一本調子であった。私たち会員はおかしいのをこらえて聞いていたが添乗員の村上さんはこらえきれずに笑い出してしまった。それを見ていた案内人は自分がおかしくなったのだろう笑いだし歌が続かないのであった。それでやめるかと思ったら素人案内人の悲しさ、歌を歌うと云った以上歌わないと駄目だとばかりに一生懸命、真剣に歌われるのであるが、さらにメロデーが無くなり、とうとうバス全体が涙を流しながら歌を聴いた。案内人もこらえきれずに途中に笑いを入れながら歌った。涙を出しながら、腹がよじれるほどに笑った。こんなに笑ったことは何年ぶりだろう。
もうこれで五島に来た甲斐があったと持った。
大瀬崎灯台の駐車場に着いた。ここから往復1時間で大瀬崎灯台に行かれるので全員が靴を履き替えたりして出発した。道の幅は3mていど、整備されていた。五島の西端、暖帯林下位の森の中を緩やかな下り勾配の遊歩道を下って行った。タイミンタチバナ、ヤブツバキ、カラタチバナ、ボチョウジ、イヌビワ、サザンカが観察された。
自分の体重に押されながら軽やかに下り森の切れ目から灯台が見えるたびに歓声を上げながら下った。眼前に白亜の大きな灯台が黄色味がかった草原のを前に堂々と立っている姿に圧倒される森の出口に着いた。素晴らしい光景であった。目の下に四角い草原が広がり急な階段が真っ直ぐに台形の丘の上へ続き、その右端に丸い灯台が建っていた。
その灯台へ32名が蟻のように縦列を作りながら急傾斜の階段を上っていった。台形の上は広場となっておりどこまでも続いている海を眺め陸地遙か上の展望台をのぞみ、今下ってきたジグザグの歩道を眺め感慨ひとしおであった。それぞれに記念写真を撮ったり知っているウンチクを話して観光を楽しんだ。
説明板には第7管区保安本部所属、明治12年12月15日に作られたが、先の大戦で傷みが激しく修理されながら使ってきたが昭和46年に新しく作り直した。白色、円形、コンクリート製、灯台は地上15,9m、水面から灯火まで83m、200万カンデラの明るさと説明されていた。説明の内、200万カンデラがどれくらいの明るさかは想像がつかなかった。相当明るいのだろうと思った。
花が咲いていた、群落を作っていたのは黄色の花と紫色の花であった。黄色の花は葉が茎を抱いていることからホソバワダンであることはすぐに分かったが紫色の花を私は調べたのであったが思い出さない。資料の植物リストを広げてみたが七嶽は書いているがここのリストは書いていなかった。リンドウだろう、キキョウだろうといろいろ話が出たがそんなものではなかったと覚えていた。いくら考えても出てこなかった。反省会か私のHPに書くからそれを見ていただきたいと話した。
(帰ってから調べてみたらシマシャジンで大瀬崎灯台固有の植物であった。年は取りたくない。昨年の七嶽登山と大瀬崎灯台の紀行文を書きHPに掲載していた。その掲載文を今回の参考にと現地に持ってきていたのだがそれを見なかった。紀行文には「紫色の花はシマシャジンでここの固有種」と記載していた。植物のリストまでは見たが紀行文は見ていなかった。現地で説明できなかったのは残念であった)
時間を見はらかって出発した。登りはもちろん登りであったが息を切らしながらも灯台のすごさの余韻にしたりながら駐車場へと進んだ。その後井持のルルド教会、西の高野山大宝寺を見学した。ここでは左甚五郎が作ったという喜怒哀楽の彫刻を見たが、本当かどうかは判定する要素は持ち合わせがなかったので説明をなるほどと云いながら聞いた。
その後は一路、荒川温泉へ。持ち込みについて事前に旅館と話していたのでビール48本を購入して持ち込んだ。旅館で取った大瓶のビール20本、缶ビール48本を飲んだ。さらに焼酎と酒を飲んだようであったが詳細は不明である。私は明日があったので二日酔いをしたら大変なのでビールだけで焼酎は飲まなかった。1日目無事終了した。安心感があったのかビールが効いたのか床についたら眠っていた。
11月4日
6時過ぎに起床した。今日のことを考えて昨夜はあまり飲まなかったのですっきりしていた。7時に朝食を済ませて出発の準備をした。用意が終わって出発したのが玄関前に集合した。班分けであった。安楽、村尾、谷川、山本の4班を作ることとした。じゃんけんを2回して勝ち勝ち、勝ち負け、負け勝ち、負け負けに分けて並んだ順序から1班から4班として班分けが終了した。
マイクロバスであることから全員が乗車することができなかった。そこで負けた人たちを先に出して神社から歩くこととして後からの人は登山口まで行ってもらおうと考えて出発した。ところがマイクロバスは登山口までは行かないとのことだった。先に出発した組は後発組が来るまで神社で待った。
走行している内に後発組も来たので一緒になって出発した。800m進んで登山口について1班から順次急な階段を上っていった。植生はナチシダ、コクモウイノデ、オオバノハチジョウシダと南国特有のシダ植物が繁茂し、成長のあまり良くないヒノキ造林の下にはタイミンタチバナ、バクチノキ、ヤツデが観察された。1班から4班までが縦列を組んで登った。急坂ではあるが五島に来た、登るぞ!と張り切っているので足は軽かった。階段を上りきった奥の院の手前で休憩した。スギノ大木の伐採根が木で囲ってあった。奥の院に手を合わせてから左巻きの「健脚組」でないほうの「大木コース」へと進んだ。
古い崩れかかった木製の階段を上りながらイタジイ、イスノキ、アカガシを観察しながら登って。どれも100−200年生の古木でイタジイは梢端折れ、幹には腐れがあった。アカガシも幹の半分以上が腐れて古木の風格がにじみ出ていた。さすがにイスノキはでーんと踏ん張るようにして頑張っており、腐れてはいなかった。そんな木が歩道脇に次々に現れた。登山口から25分で大木コースは過ぎて健脚コースとの三叉路に着いた。
いよいよ七山の登山が始まった。今度は一列に長くならんで進んだ。そんなに傾斜はないのでおしゃべりしながらの楽しい山歩きとなった。七山というように頂上が七つの頂からなっているので登ったり下ったりを繰り返しながら進んだ。各峰からは見晴らしがよく、昨日宿泊した荒川が谷間の休耕田の向こうに山と海に挟まれるようにして見えた。後方には五島で一番高い「父ガ岳」(ててがだけ)の峰がそびえていた。5峰からは6峰の三角の頂が目の前に見えていた。頂上は6峰に隠れて見えなかった。
1班は先に進むので6峰で記念写真を撮って先に下って貰各班毎にここで記念写真を撮った。次の班は6峰の手前にある小さい峰から手を振るので6峰からそこを越える毎に写真を撮った。もちろん6峰での記念写真も撮った。
6峰を越えて又縦列を組んで進んだ。いよいよ七嶽の頂上に近づいた。七嶽の頂上には全員が立てないので4班と5班は連絡するまで待機していただき1班と2班が進んだ。11時40分、3時間かかって頂上に着いた。
1班が頂上で記念写真を撮り村尾さんと谷川さんが2カ所にザイルを取り付け下りが始まった。ここが一番の難所であった。まず1班にしっかり握り気を許さずに足下をしっかり見ながら二人の指示に従いながら下るよう注意していよいよ下り初めた。1班の後に2班が記念写真を撮り下った。ここでも2班全員に細かな注意をして一人ずつ順序よく下り始めた。
後の二班にトランシーバーで前進するように指示した。登ってきたときにはまだ2班が下っていた。時間がかかった。さらに3班、4班と班別に細かな注意をして全員が下った。私が最後にザイルを外して下った。
全員を追い越してさらに1カ所崖下りがあったのでここのザイルを張り同じようにして下った。時間はかかったが目立ったトラブルもなく安全に下ることができた。ここを過ぎたらヒノキ造林地の急な傾斜を下るだけであったが、傾斜がきついので思うように進むことはできなかった。
尾根筋から左への下りを進んだらすぐに登山口に着いた。全員が着いたのは12時45分であった。13時にバスが来ることになっていたので大慌てで昼食をした。ゆっくりする暇はなかった。約束通りバスは13時きっかりに来た。
その後昨夜泊まった荒川温泉で着替えをして五島を左回りに高浜海水浴場、三井楽海岸、道の駅などを観光して港へ進んだ。15時30分に港に着いた。
16時05分五島発、17時30分長崎港、21時30分頃、熊本交通センターに着いた。日程の詰まった忙しい旅行であったが全員が七つ嶽の頂上に立ったのでいい登山ができた。残念ながら一人が腕の皮を剥くけがをしたのが心残りであったが、バスから降りるときに、今日中に救急医院へ行って治療を受けるよう指示した。
翌日連絡があり、昨夜中に救急医療を受け、今日又病院へ行き治療を受けた。大したことはないとの連絡を受けた。保険をしっかりかけていたので治療費などの心配はなかった。
登山のテレビを見ているとスパッツをはめていないときは登山靴の上にズボンが被さるようになって歩く姿が映し出される。私はこのことが気になっていた。私はスパッツをはめないときはズボンを靴下の中に入れてズボンが藪などに引っかからないようにしている。今回はこのズボンの裾を自分で踏み転倒したのだった。この次からは裾しまりをしっかりするように注意したいと思った。
○ 平日F・E・C 五島計画のため11月は中止になっています。
● サントリー森と水の学校
サントリーの森と水の学校はおかげさまで平成20年は終了しました。多くの皆さんのおかげで33回の学校を開くことができました。来年に向けて更にプログラムの改良を行いながら準備して、21年の募集を始めたいと思っています。本当にお世話になりありがとうございました。
費用は保険料たったの100円のみで参加できます。(来年も同じだと嬉しいが)
皆さん森と水の学校のHPをのぞいてください。どんなことをするんだろう、びっくりする映像がたくさんあります。スタッフも掲載されていますよ。
http://www.suntory.co.jp/eco/gakko/entry/
森と水の学校スタッフ一同
森と水の学校の講師は九州森林インストラクター会が受け持っています。
連絡先
森と水の学校 阿蘇学校事務局
電話 0120−090017
携帯 080−1197−7797
安楽行雄への連絡
電話・フアックス 096−359−3008
■ 九州森林管理局広報
監物台樹木園の多様な植物 毎号掲載(執筆者安楽行雄)
平成20年11月号掲載のカジカエデです。クリックすると大きい画面になります。
九州森林管理局の依頼により19年7月号から「広報九州」最終ページに監物台樹木園の多様な植物と題して掲載していますが、もう15回の掲載となりました。
九州広しといえどもこのようにたくさんの樹木を植えてあるところはありません、と書いたいところですが、何回かの台風や老衰、シロアリが入ったり倒れたりして往年の半分以下に減少しています。カタルパ、ダイオウショウ、コウヤマキ、カクレミノ、アカメガシワなどなどが存在していません。しかしながらまだまだ珍しい木や大きな木がありますので、話題を作りながら書いていきたいと思っています。
広報九州を手にされた場合には、最後のページを読んでくださるようお願いします。できるだけ面白く楽しく読めるように工夫したいと思います。
○ 健軍東小学校育成教室 11月22日
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孫が通う育成教室でモックン、紙トンボなどをしました
育成教室 健軍東小学校 20:11:22私の孫が健軍東小学校に通っている。娘が育成の役員をしていることから子ども達に何か面白いことをやってくれないかと頼まれた。「育成」とはなじみ無いと思うのですが、今学校では夫婦共働きが多いことから学校が終わってからすぐ家に帰っても誰もいない。そこで17時まで学校が終わってから面倒を見てくれるのが育成教室である。むろん有料であるがほとんどの子どもがここに行ってから帰宅しているとのことだった。
娘も勤めていることから2名の子どもを預けている。行事をすることとなったらしい。私に相談があったので、私からクラフトで紙トンボ、モックン、キーホルダー作りを提案していた。時間が9時30分から11時までの1時間30分とのことだった。時間が中途半端になるができるだけでいいかと念を押したら出きるだけでいいとの返事を貰った。
モックンは村尾さんにしていただかないと私にはできない。村尾さんに相談したら22日は行事が入っているが午前中だったら大丈夫だと言うことだったのでお願いした。私は紙トンボとキーホルダーの準備をした。
当日東小学校へ9時に行った。娘が出迎えてくれて娘が先生への挨拶や鍵を借りてきた。村尾さんもその時間には来たのですぐに体育館へ入った。準備をしていたら親子連れが集まってきた。9時30分になると子供と親の30名が集合した。開会式となりいつもの通りに挨拶をして始めることとした。
体育館は寒々としていた。集まってきた子どもは時間まで元気に体育館の中を走り回り鬼ごっこなどをして遊んでいた。私の二人の孫もみんなに交じって走り回っていた。私と村尾さんは目を見あせてクラフトをするよりもこのままほっといていた方がいいのではないかと苦笑いであった。
時間になって紹介していただき早速始めることとしたが、体を動かした方がいいと思ったのでじゃんけんゲーム、肩たたきゲームなどをして体を動かしてから、まずはモックンから始めた。村尾さんが説明したのであるがどのように取り組めばいいのかと惑っていた。二人はまさに手取、足取りで説明をして取り組ませた。大体の事情を飲み込むと後は早かった。それぞれにアイデアに富むクラフトが出来上がっていった。一番人気は手足をぶらぶら付けたモックンであった。飛行機ができたり自動車ができたりとにぎやかであった。
時間を見てから次は紙トンボ作りへと進んだ。こちらは子ども達がすることがないので形を切り取ると、穴を開け、竹串を刺し、糊付けした。参加しているお母さん達にも応援を貰って作っていった。体育館の中は風の影響がないので高く高く飛ぶので子ども達が夢中になっていた。こちらはお母さん方にも作っていただき飛ばして貰った。お母さん達も我を忘れて紙トンボを飛ばしにぎやかであった。大体終わったのが10時45分であった。時間が中途半端になった。娘に11時15分まで時間を延期していいか、話し合って貰った。教頭先生は11時から用事があるので早く帰るがそれでもいいですかとのことだったので快諾して、キーホルダー作りとなった。
こちらはシールを貼るので子ども達の得意分野である。説明を聞くとすぐからキーホルダー作りが始まった。キーホルダーの板の6面を紙ヤスリで磨き、その上にシールを貼るのである。色とりどりのシールにどんな色を使ってどのように張るのか迷っているようだったが決まるとシール貼りは早かった。
いつもであるがキーホルダーを二つ作りたいという子どもも出てきた。紙トンボの時も1個ずつと管理したので今回も1個ずつと念を押した。途中で教頭先生は退室された。11時10分、後5分で終了しますと告げて片づけ始めた。
終わりの会をして無事終了した。もって帰るクラフトばかりであったので子ども達は喜んで帰っていった。やはりこんな行事は2時間はないと中途半端になるなと思いながら帰った。後から子ども達も父兄からも好評であったとの報告を受けたのでやってよかったと思った。またいつか機会があれば子ども達を遊ばせてやりたいと思った。
内の孫は左利きである、紙トンボを作るのははさみを使うことから作るのを渋っていたがみんなが作り上げて飛ばすのをみて無理矢理はさみを使って作り始めた。やはり左利きのはさみ使いは無理があるようであったがぎざぎざに切り上げて作り飛ばせて大喜びであった。良くやったと心の中でほめた。そのはさみ使いの写真を表紙に掲載した。
● サントリー社員林業体験 11月15日
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サントリーの社員や家族約80名が参加して枝下ろし作業が行われた。枝打ち機械は改良されて素晴らしい性能を発揮していた。このような機械がどんどん使われるように林業が発展してくれるよう祈念した。
サントリー体験林業 20:11:15
11月になってサントリーから15日に林業体験をするのでよろしくと電話があってから連絡がなかった。詳しい事情が分からないので森林インストラクターにも連絡していなかった。1週間前になっても連絡がないので、私から連絡したら80名程度の参加者で7班に分けて実施する、ついては14日の午後サントリー天然水の森で会いたいとのことだった。
これは大変とサントリー森と水の学校の講師に連絡したら4名はすでにイベントの講師を引き受けており参加できないとのことだった。このことを伝えたら5名だけでよい、他の2班は矢部愛林(会社)の従業員に頼むとのことだった。
14日に現地で打ち合わせをした。7班が枝打ちする箇所をを決めて印を付けた。その作業が終わったら会社から昨年の作業箇所を参加者に見せたいがどうするとの提案があった。現地を見ながら検討したが同じ箇所を往復することになるのであまりいい話ではなかった。現地を身ながら検討した
歩道を下り途中から昨年の作業箇所に入り、昨年下後を強度の間伐をしたのでその箇所を見せてから林内を今年の作業箇所へ移動させようと計画がまとまった。
そのためには歩道から昨年の作業箇所までミヤコザサを切り払う作業が必要であった。今日はできないから明日の朝やりましょうと矢部愛林さんが云ってくださったので、そのようにすることとなった。
当日私たち九州森林インストラクター会5名は工場に集まり9時30分までには森の入り口に着いた。バスが3でい来る予定であった。
10時になると一番遅くなるであろうと予測した福岡からのバスが到着した。森林インストラクター2名が付き添って森へ進んだ。10時15分には2台のバスが相次いで到着した。それぞれに森林インストラクターが付き添って森の広場へと進んだ。
森の広場で開会式がありサントリー、熊本森林管理事務署から挨拶があった。作業上の安全について私が指名されたので、鋸でひっかいた傷は治りにくい、両手を使ってしっかり引くように、鋸は引くときにしか切れないのでその点を注意しながら、むちゃくちゃに鋸をひいても切れないことを説明した。
その後参加者全員がヘルメットを着用しゴーグルを手にし、鋸を1本ずつ受け取り作業現場へと向かった。私がトップになって1班を引き連れて進み残り6班が後に続いた。今朝刈り払ったのであろう昨年の作業現場への道が出来上がっていた。その道を通り昨年の作業箇所へ、そこが強度の間伐がなされたので森が明るくなり見違えるように整然とした森になっていた。みんな驚いていた。
間伐について説明してから今日の作業箇所へと進んだ。森は薄暗く枝打ちするのに適していた。作業のやり方を説明した。この作業は枝打ちと云っているが正確には枝下ろし作業であって、風通しを良くして病虫害から森を守る、今見てきたように次の間伐作業がやりやすいように枝を払う作業であることを説明した。そうして作業が始まった。
私の班には超美人が二人参加していた。いざ作業を始めるとこの二人は首筋から下の肌が広く丸出しになる洋服を着ていた。私はこれは大変、美女が虫さされになると困るので二人には、ここはいろんな虫がいるし杉の葉やヒノキの葉が洋服の中にはいると大変になることを話して首にタオルを巻いたりショウルを首にまいて作業して貰った。作業が終わってからも気を付けていたが、かゆさ、傷みなどはは訴えられなかったので一安心した。
1班の皆さんには作業の途中で枝打ちについて話しした。枝打ちは柱材の無節材を作るのが目的であった3m50センチの高さまでビール瓶の大きさになたっら次から次に枝を打っていく、柱材として使う無節材を作るには、大体3―4回くらいの枝打ちが必要であると説明した。また、丸く切った輪の中に鉛筆で四角形を書き、この四角形に節ができないように枝打ちをすることを説明した。理解できて貰ったかは不明であったが何となくは分かって貰った感じがした。
きっかり13時まで作業をして終了した。その後森の広場へ進み閉会式があった。けが人もなく無事終了した。ミルク牧場でバーベキューの昼食を食べてイベントは終了した。来年も今年の箇所を間伐して皆さんに見せることができれば、きっと作業のやりがいを目で見ることからでき、作業について理解していただくだろうと思った。
● 美咲ちゃんの誕生会 11月8日 満4歳万歳
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満4歳の誕生日、何回も何回もケーキを出した入り入れたり、やっとろうそくがつきました
我が家最年少美咲の誕生日 20:11:8
我が家の最後の孫、美咲の誕生日は11月7日である。7日は金曜日であることから1日繰り下げて11月8日にすることとなった。汰樹は8月29日、夏希は8月13日である。二人の孫もケーキを買って祝ったのであったが、美咲は2回ともミーチャンの誕生日だと云ってだだをこね、ろうそくの火を主役が消すと大泣きして大変であった。そこはよくしたもので,大樹と夏希が良き計らいをして無事終了したのであった。
今回はみんなが揃う前にケーキを開いていた。美咲に見るだけ、見るだけ、に押し切られてママが開いたのだった。家内とママがご馳走を作るまで何回も眺めては箱にしまい、又広げてみる行動が続いた。
いよいよろうそくに火を付けて、バースデイの歌を聴きながら4本のろうそくが無事消された。ところがである1回では満足がいかないようで何回も火を付けては消すこととなった。汰樹と夏希は早くご馳走が食べたいので機嫌が悪い。美咲がろうそくに火を付けて貰うと間髪入れずに二人が交互に消してしまうので美咲が機嫌を損ね泣き出す、親が今度は汰樹と夏希を大きな声で怒るので大騒ぎとなった。
写真撮影が終わると私はそんなことにはお構いなしにビールを空け、美咲ではないが自分の誕生日と決め込み一気に冷たいビールを飲んだ。風呂上がりのいっぱいは最高の味であった。落ち着いた頃から息子と二人で美咲の行く末の健康を願いながらアルコールが進んだ。
ご飯が終わったところで夏希から美咲へのプレゼントが渡された。早速プレゼントを開いた。パジャマが入っていたらすぐに取りだし着替えてご満悦であった。そのほかおもちゃ箱や洋服が出てきてお気に入り用で大変なはしゃぎようであった。
それが終わってケーキの切り方が始まった。これが大騒ぎであった。イチゴを孔時ずつに切り分けるのにママは大変である、3名の6つの目は瞬きもせずにケーキきりを見ている。切り終わると美咲から取るのであるが見事に正確に切り分けてあるので、美咲はあっちに手を出したり、こっちに手を出して決まらない。汰樹と夏希から早く決めろと大騒ぎであった。そのうちに美咲が食べるケーキが決まり3名、にこにこしながら美味しそうにケーキを食べていた。
私たちにもお祝いだから食べろとの指示に従い7分の1に正確に切られた1つ貰っていただいた。久しぶりのケーキなので美味しかった。家内も私も血糖値が心配なので滅多にケーキ類を食べたことはなかった。
我が家では土産にお菓子や団子類を買ってくると誰が食べるんだと文句を言われるので買ってきたためしがない。またおみやげにその類を貰うといつもでも残ってしまう。そんなことから近頃は旅行しても土産をほとんど買ってきたためしがない。
買ってくるのは明太子や塩からを買ってくるので、高血圧の私はどうするのと文句を言っている昨今である。
何はともあれ大騒ぎの中誕生会は終わり、台風が去るように孫達が引き上げていった。やれやれと顔を見合わせて、無事終了したことを確認した。私はアルコールでいい気分、家内はほっとしたのか、つかれたのか気の抜けたビールのような顔をしていた。
今月の行事
F.E.C 12月6日 F・E・C総会
F・E・C平日例会 12月16日 湧蓋山
花園公民館 12月14日 リース作り
面白塾 12月21日 リース作り
○先月登った山
平日F・E・C なし
F・E・C 五島 七岳
調査 国見岳 烏帽子山 白鳥山
○今月登る山
F・E・C 総会
平日F・E・C 湧蓋山