ワールドカップ雑感記 '82スペイン-'86メキシコ

1次リーグの出来からは全く想像できなかったイタリア優勝で幕を閉じた、スペイン大会。そして、”マラドーナの大会”と言われながら、私の記憶には、なぜかマラドーナの影すら残っていない、メキシコ大会の雑感記。


’82スペイン大会
ベストマッチはブラジル対イタリア、、、だけど、先生、ごめんなさい!

前年’81年のトヨタカップで、「サッカーって、こんなに色々な事ができるんだ〜」と感嘆した 私が、待ち望んでいた大会。「16試合を放送します!」というNHKの自慢気な宣伝文句が、 時代の流れを感じさせる。(今なら猛烈な抗議が寄せられるだろうなあ。)

ベストマッチは、やはり、2次リーグのブラジル対イタリア。1次リーグを引き分け3試合で 抜けてきたイタリアが、パオロ・ロッシの目覚めとともに、大化け。絶対的優勝候補だったブラジルを、 うっちゃってしまった。ブラジル応援だった私にとっては、「ロッシのバカ野郎〜」で、しばらく ”点取り屋タイプ”を、どうしても好きになれなかった元凶となった試合でもある。
(この日は、あいにく学校の家庭訪問日。わざわざ遠方からおこしいただいた担任教師には 悪かったのだが、ビデオという代物もない時代だけに、放送を逃すわけにもいきません。 先生と母親が、応接間で生徒と娘の将来について論じているのをしり目に、その生徒と娘は、茶の間のTV の前で中腰になって、ボールの行方に一喜一憂していたのであった。)

一番かっこいいシュートは、ブライアン・ロブソン(イングランド)の、フランス戦における 電撃ボレー!その彼も現在は、プレミアシップ・ミドルスブラの監督として、神妙な顔で指揮を 執っていらっしゃる。

感嘆したプレーヤーは、ブラジルの”ローマの鷹”ファルカン。ピンと背筋を伸ばした状態から放つパスの数々が絶品で、ちょっと真似を試みたけど、ボールから目が離れてしまい、凡人は猫背にならないとボールキープができないことに気づいたのだった。

一番感情移入して応援した選手は、西ドイツのストッパー、カール・ハインツ・フェルスター。「努力はいつか報われる」又は「正義は勝つ!」と、健気に信じていた年頃だっただけに、彼の地味極まりないチームへの献身は、優勝というご褒美で報われると思っていたものの、こちらもパオロ・ロッシの一発に泣く!

最もルックス的にお気に入りだったのは、ベルギーのストライカー、アレクサンドル・チェルニアティンスキー。ボールを持った時の姿が、インザーギ兄似である。(時代順でいったら、ピッポが似ているのだが。)故障がちで、その後の国際大会では、なかなか活躍できなかたのだが、後年、ベルギーに行った際に質問してみたら、ベルギー国内では、かなり人気者だったらしい。

改めてビックリは、出場機会はなかったものの、優勝国イタリアチームの一員だった、ピエトロ・ビエルコウッド。同じくメンバーだったコンティなどは、代替わりして息子がプレイしているというのに、今日も元気にピアチェンツァの最終ラインを守ってます。

 

’86メキシコ大会
酷暑+高地で、このスピード!

当初の開催国コロンビアが返上、代替国となったメキシコも地震にみまわれ、開催も危ぶまれたものの、無事スタート。しかし、暑さ、空気の薄さに加えて、風土病”モンテズマの呪い”に体力を奪われる選手が続出。ベテラン勢不利も伝えられたが、そこで活きたのは、ベテラン勢の技でもあった。

一般的なメキシコ大会のベストゲーム、フランス対ブラジルを押さえて、個人的なベストゲームは、決勝トーナメント1回戦のベルギー対ソ連。過酷なコンディションを考慮して、押さえ気味のペースで進めるチームが多い中、フィールドプレイヤー10人のうち9人が、ディナモキエフ勢というソ連は、スピードを生かした攻撃で先手先手をとる。しかし、この大会しぶとい戦いぶりで準決勝まで駒を進めることになったベルギーが、その度追いつき、結局、延長に持ちこんで、押し切ってしまった。合計7ゴールもみることができたし、両チームの持ち味も堪能したし、満足の試合。

しびれたシュートは、地元メキシコ対ブルガリア戦における、マヌエル・ネグレテ(メキシコ)のジャンピングボレー。実際に、このゴールを生で目撃したという、知人のメキシコ人会計士(のタマゴ)は、このシュートを語り始めると、もう止まらない。

感情移入させられてしまったのが、ベルギーのゲームメーカー、ヴィンチェンツォ・シーフォ。'83-'84UEFAカップ、そして’84欧州選手権で注目された、イタリアはシチリア島出身の両親を持つ20歳。予選リーグの対イラク戦で自身のワールドカップ初ゴールをあげ、もちろん大喜びだったのだが、その喜び方が、若さに似合わぬ、とてもしみじみとしたもので、派手なパフォーマンス以上に喜びが直に伝わってきた。それ以降、応援してきたのだが、その卓越した技術とセンスに見合ったビッグタイトルには恵まれず、'98フランス大会を最後に代表からは引退した。しかし、4回連続のワールドカップ出場だけでも、恵まれていたのともいえるのかな。

重要な心変わりの要因となったのは、得点王に輝いた、イングランドのゲイリー・リネカー。まさに、Opportunistの典型ともいえるストライカーで、本来は好きになれないタイプだったのだが、嫌味がない上に、大会終了後のインタビューで、”ストライカーの孤独”というものを、実に上手く表現し、私の認識を一新してくれた。やはり、現代のスポーツ選手は、選手としての技量とともに、しっかりとした”言葉”を持つことも重要である。

笑わせてもらったのが、ホストTV局、テレメヒコの元気一杯のレポートと、西ドイツ代表チームのプロモビデオ「メヒコ・ミ・アモーレ」(だったかな?)。この手のビデオは、その後お目にかかれないが、2002年大会には、是非、全参加国が作ってほしいもの。

一番の骨折り損は、西ドイツ対フランス戦(準決勝)を、結果をみずにTV観戦する為に、全エネルギーを費やした!友人には緘口令を敷き、食堂のTVには近づかず、授業が終わると即電車に飛び乗り、電車内ではウォークマンで音声を遮断し、さあ、これで心おきなく観戦を楽しめるぞ〜と、駅のホームに降り立った私。しかし、そんな私の目の前に、いきなり現れたのは、「西ドイツ、決勝進出!」のドでかい文字。”おじさん、そんな所でそんなモノを広げないでよ〜”と文句を言ってももう遅い。試合終了時刻が、朝刊にはとうてい間に合わないタイミングなので、すっかり油断していたのだが、スポーツ紙には夕刊というものもあったのだった、、、。

ルックスが好み、、というより、インパクトがあったのが、ソ連のGK、リナト・ダサエフ。どこまでも伸びているような、長い手足が特徴で、あの体型で構えられると、ゴールが小さくみえてしょうがないのでは、、、。当時は実現が難しかったが、今なら確実に、イタリアあたりのビックグラブで、守護神として活躍していただろう。


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