Vol-5 耐える神経・攻める神経


Figure Skate 2001年


ロビン・カズンズ、デニス・ビールマン、ブライアン・ボイタノ、ブライアン・オーサー、伊藤みどり、ビクトール・ペトレンコ、クリスティー・ヤマグチ、ターニャ・シェフチェンコ、ゴルデーワ&グリンコフ、フィリップ・キャンデローロ、アレクサンドル・アプト、イリア・クーリック、アニシナ&ペイゼラー、マリア・ブッテルスカヤ・・・

他のスポーツから群を抜いて華やかな世界だけに、子供の頃から観るスポーツとして大好きだったフィギュア・スケート。歴代お気に入りのフィギュア・スケーターはまだまだたくさんだ。しかし、競技できる場が限られるだけに、なかなか観戦する機会がなく、2001年に地元・熊本でNHK杯が開催されたおかげで、ようやく”生”で観ることができた。

どんなスポーツにも、その現場でしか得られない感覚があるもので・・・

それまで、どこか他のスポーツとは違うものという”偏見”を持っていたフィギュア・スケート。特に女子のカテゴリーに関してその思いが強かったのだが、まさにスポーツなのだ!と認識する機会となった。


耐える神経
「これは、たまらんなぁ〜。」と思った。

2001年NHK杯フィギュアスケート第2日目。女子シングル・フリーの最初の演技者アン・パトリス・マクダノフ(U.S.A.)がリンク上に登場した時だ。まだ16歳で手足も細く、実年齢よりも幼く見えるアジア系の顔立ちと、演技曲”ロミオとジュリエット”に合わせた衣装が相まって、可憐というよりも儚げですらある。

その姿に、たまらないなぁ〜と感じたといっても、”萌え”たわけではありません! もし自分がマクダノフ選手の関係者だとしたら、とても見てはいられないと思ったのである。あんなに広いスケートリンクに華奢で頼りなげな女の子がただひとりなのだ。現代スポーツは数々あれど、あれだけの広い空間の中にたった独りで立たねばならないスポーツが他にあるだろうか?

しかも足元は氷。氷は冷たく青白い。美しいけれども神経を刺すような色合いだ。そして、氷の上で足を支えるのは刀のように薄く磨かれたエッジを持つスケート靴。これだけの不安定要素が集まった環境の中で、ジャンプ、ステップ、スピンなどの高い運動能力を要する動きを続け、しかも美しくみせなければならないのだ。これはきつい・・・

・・・と、堅苦しく書いてしまうと、ちっともきつそうに思えないけれど、グラグラのスケート靴でだだっ広いリンクへひとりで飛び出して、ツルツルでカチカチの氷の上で飛んだり跳ねたり走ったりしなくてはならないのに、転んでもやり直しはできないし、ジャンプで転んだ姿はみっともないし、あ〜ぁという観客のため息は聞こえるし、転んで氷で打った足は赤〜くなっちゃうし、音楽には乗り遅れるし、それでも最後はポーズを決めなきゃならないし・・・。

そんな厳しい状況におけるパフォーマンスだからこそ成功の美しさが際立つのだが、優劣を決めるのは人間による採点だ。採点対象のほとんどは”技術”の範疇だが、技術と呼ばれるひとつひとつの動作の良し悪しには”美しさ”が大きく影響する。純粋にスポーツとは呼べない要素が大きいこの競技は、女の子にとっては厳しい世界だ。

もちろん男の子にとっても厳しい世界には違いないが、女子の前に行われた男子シングル・ショートプログラムでは、女子シングルで感じたどこか不可思議な感覚は覚えなかった。滑走のスピードやジャンプ着地時の音の迫力にビックリしながら、ジャンプで派手にミスしても、あくまでも技術上のミスという感じで、もっとスポーツ感覚で観ることができたと思う。


攻める神経
「こりゃあ、すごいなぁ〜。」と思った。

午後のアイスダンス・フリーで最終グループのウォームアップが始まった時だ。演技が始まる前におやつでもつまもうかなという気持ちが吹っ飛び、思わず前のめりになってリンクを見つめた。だって、”私を見て!”という迫力が凄いのだ。”私たちを見て!”ではなく、”私を見て!”。

特に、結果的にこの大会で優勝したアニシナ&ペイゼラー(フランス)組のマリーナ・アニシナがつくりだすエネルギーは格別だった。もともとアニシナ&ペイゼラー組は大好きなペアで、TVで観ていてもキリッとした存在感が素敵なのだが、この広いリンクの隅々にまで行き渡る強いエネルギーは、TVでは感じ得ないもの。現場ならではの感覚だ。

それにしても、ここには16歳のアン・パトリス嬢が感じさせた儚さは微塵もない。よそ見でもしようものならお叱りを受けそうな雰囲気だ。これは単にキャリアの差なのか、それとも、シングル以上にスケート技術が求められながらも、各ペアの技術が高いレベルで拮抗しているがゆえに、”印象”が点に結びつきやすいアイスダンスという競技に求められる資質なのか。

2001年NHK杯から約3ヶ月後、ソルトレーク・オリンピックが開催された。NHK杯観戦の経験から、金メダルを競うアイスダンス・フリー最終グループの演技に関してはウォームアップ時点から大注目していると、ウォームアップを待つ各ペアの表情を追うTV画面に解説の五十嵐さんからのコメントが・・・

「このレベルのスケーターになると、自らは集中しながら、同時に周りにプレッシャーを与えることができますからね。」

そうなんだ〜 そうなんだよね!と頷く私。”純粋にスポーツとはいえない”と当のスケーターたちも認めるアイスダンスだけど、競う精神はまさにスポーツのもの。スケートの技術を高めて、ルックスを磨いて、なおかつ強い印象が求められるならば、演技が始まる前から他を圧して会場を自分の色に染めましょう・・・。その競う精神がエネルギーとなって伝わってくるのだな。

そうであれば、アイスダンスも純粋なスポーツ競技だ。技術と美しさを競うのだ。そして、スケートリンクという厳しい環境に耐えて自分の演技を続けた少女も、やがて他のスケーターと競い勝とうとする精神を身につけるのだろう。

男の戦いは?
綺麗にまとまった(?)ので、ここでフィニッシュ&ポーズ・・・のはずだったのだが、なぜ男子の戦いではこの感覚がなく、女子の戦いでのみ感じたのだろう?という疑問が残る。男女のペアで競うアイスダンスでも競争心を感じさせるのは女性の方で、その緊張感は表彰台においてもバチバチと続いているのに、ほとんどの男性の方は競技が終わればお互いに和やかな雰囲気になる。そこで思い出すのが、幾人ものチャンピョン・スケーターを育てあげたアメリカの有名コーチのコメント−−−「リンクで練習中に他のスケーターとちょっと接触してしまった時に、男子の場合は”ゴメン!気づかなかったよ”で終わるのに、女子の場合は”なぜそんなことをするの?!”となってしまう。」

自分も女性だから、このコメントは意地悪!と思ったけれど、そうかもなぁ〜とも思う。きっと女の子の場合は、競争心のオンとオフが簡単には切り替えられなかったのだ。自分が演技する時だけオンのスイッチを入れるということができず、常に競争モードに入っている必要があったのだろう。

しかし、これも時代が流れて、女の子がスポーツで競うことに何の違和感も無くなってきた現在は、少しずつ変わってきているのではないだろうか。日本でも、当たり前のように、”自分が一番になりたい、ジャンプを飛びたい、綺麗に踊りたい、お客さんに喜んで欲しい”という意欲を語る女子スケーターが増えている。彼女たちが争う現場に行けば、また違った印象を感じるに違いない。

そして、女子の世界が変わってきているならば、きっと男子の世界も変わっているだろうから、ギラギラの火花が飛び散る男の戦いも展開されているかもしれない。やはり、機会をみつけてまた観に行かねば。



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