Gustavo "Guga" Kuerten/ぐがのみち
2003 Vol-8 1/2
ホグワーツ行き列車の発車ホームのごとく、又は、あなたもジョン・マルコビッチになれる 穴が存在する階のごとく、パソスさん特集の”Vol-8 1/2”は隠しページもどきなのであります。
7月末のメルセデス・ベンツ・カップ(L.A.)直前に行われたパソスさんの独占インタビュー (GAZETA esportiva.Net掲載)を紹介します。いつもの ように要約(と書けば響きは良いが、実際は理解できない部分を削除して残った部分)を掲載しようと思った のですが、せっかくのロングインタビューだし、”求道者”パソスさんの言葉を勝手に解釈するのも恐れ 多いので、全文掲載にトライしました。(質問部分は省略あり。)
理解した上での意訳あり、知らず知らずの意訳あり、強引な力技的意訳あり、そしてもちろん山のような 誤訳あり・・・だと思いますので、その点はご了承くださいね〜
Part 1 結果は現れる・・・
「私はこの時期のトレーニングを重要視していて、まだグガが14歳だったころから続けている。 まずシーズン前半の6ヶ月に力を注ぎ、シーズンの半ばにきたら、後半の6ヶ月を戦うために トレーニングする。7月に2週間の休みを与えるコーチはたくさんいるけれど、このやり方は あまりないね。我々は筋力と耐久力を鍛え、この機会をいかして速いコート・サーフェスの特性 に沿ったプレー〜前向きにアタックし、意志を持ってネットへでる〜のトレーニングを行った。 今回のトレーニングが終了した時、グガは、”力強くリラックスしている”と語っていたが、 このふたつの言葉は私にとって最も素晴らしい言葉だね。」
「いや、欠けているのは自信ではない。手術を受けた競技者が影響を受け、影響を受け続けるのは、 メンタルの一面だ。試合中の困難な時により必要となる何か。これこそグガが実戦の苦しい戦いの中で 取り戻そうとしているものだ。クレーコート・シーズンでは肝心なところでそれが欠けていた。メンタルな一面、 信念、”誰が何と言おうがここにいるのは自分”という姿勢・・・。私はローマでそれを要求し、彼は応えてきた。 ローランギャロスでは、ガウディオとロブレドとの試合が最も厳しかったな。技術的には良かった がね。クレーコート・シーズンはもっと良くて然るべきだったが、私は悲観はしなかった。手術から 1年後に高い競争力を取り戻してきたわけだから、我々はこれからの後半戦には自信を持っている。」
(コメント by Yuu : 弟子の方が”自信が””自信が”と呪文のように繰り返しているのに対し、問題は自信では ないと断言している点に注目。しかし、断言するパソスさんも、それは何なのかを言葉で定義するのは難しい ようですねぇ。)
「ハードコートではポイントが短いから、あまりメンタル面の力を要求されないという点で上手く作用するんだ。 グガはより多くのウィナーを放ち、より攻撃し、より積極的にプレーしている。そのうちに、ポイントを勝ち とるまでに6本も7本も8本も良いショットを打ち続けなければならないクレーコートでも、以前のようにプレー できるようになるだろう。クレーコート用やハードコート用の準備はしない。全てのコートでプレーするために、 完成されたプレーのためにトレーニングするんだ。今回のトレーニングでは、技術コーチとしての仕事は完了 したと感じている。サーブとアプローチに時間をかけ、ネットに出てポイントを決めるように要求した。 彼のボレーと動きには素晴らしい進歩があったと感じているよ。20日間のハードコートでのトレーニングと 心肺機能向上トレーニングはとても過酷なものだったが、彼はよく応えた。訓練は終わった。後は結果が ついてくるはずだ。」
「グガはクレーコートのテニスの歴史を変えた。私はグガが14歳のころから一緒にやっているから 言えることだが、我々はスペインやアルゼンチンのテニスを真似していたんだ。それが’97年の ローランギャロスで全て変わった。私とグガがトレーニングしていると、いつも5〜6人のコーチが やってきてみているよ。コリアやガウディオやチェラは、このところ常に好調なプレーヤーだが、 彼らは我々のやり方を取り入れているんだ。この3人は今年のローランギャロスでグガと一緒にトレーニング した選手たちでもある。私が連れてきたんだよ。彼らは私をコーチとして尊敬してくれているからね。 グガは時々“ラリ、皆に真似されちゃうよ。隠れて練習しなきゃ。”って冗談を言うんだけど、私は 全てこのやり方で満足なんだ。アルゼンチンからは200人のコーチを対象に講習を開いてほしいという 依頼も受けている。このところグガに勝っているのは、我々のトレーニングやプレー方法に倣った プレーヤー達だ。彼らは急成長した。次に必要なのはグガがそのレベルで戦えるようにすることだ。」
(コメント by Yuu : グガの”秘密練習しなきゃ!”という言葉は本気半分じゃないですかね?! 結果で評価される 世界だから、優位性を保ちたいと思うのが普通で、手の内をみせてしまうことに不安を感じてしまうのでは ないかな。。。しかし、パソスさんはその先を求めているようですね。選手にとってはホントに厳しいコーチだ。)
「難しい質問だな。それをパーセンテージで分けることはできないよ。私は訓練する側だから、 確かなことは言えないからね。グガは14歳の時に大きく飛躍した。(14歳でスタートというのは) すでに遅れているわけだから、私はグガに“半年で数年分進歩しなければならない、それには私を 信頼せねばならない”と言いきかせた。彼の資質で素晴らしいのは耐久力だ。数センチ成長するごとに、 それに合わせてエクサイズした。」「1997年のメンフィスでグガがアガシに勝ったとき、まるでトップ10 選手のようなプレーだったぞと言ったものだが、もし彼が私を信じていなかったならば、(2000年に)世界No1に なることもなかっただろう。もちろん今ではその3年間に比べると私への依存度も小さくなっているがね。」
「それは重要な話題だな。トレーニングでは、フォアサイドからアプローチし、フォアで攻撃し、フォアと バックのボレーで決めるというパターンを繰り返している。エラーをすれば当然ボールはネットにかかる。 それを修正するために私は練習をストップし、彼と話しをし、正しいラケットの位置を示す。こうやって 修正を行い、上手くボレーできるようにする。毎日毎日このように進めるんだ。彼は勢いがつくと、 フォアボレーを強く叩きがちになり、その結果押さえが効かなくなってボールをネットにかけてしまう。 グガにとってボレーとアプローチはナチュラルなショットではないから、毎日修正を繰り返す必要があるんだ。 私は毎日コートに行き、やるべきことを指示する。我々はまたセカンドサーブにも力をいれているよ。 最近は皆がセカンドサーブを攻撃してくるからね。」
(コメント by Yuu : 毎日毎日が地道な練習の日々なのだな。グガって、器用にプレーをこなしているように みえて実は不器用のようだけど、不器用なんだなと思ってみていると実に器用そうにプレーするし、よくわかん ないですねぇ。)
「技術的なミスにはかえって奮いたたされるよ。それにほとんどの場合は、試合後には彼自身も自分が間違った ことをしたとわかっているし。」
「今年のローマのガウディオ戦だ。グガは完璧なプレーでセカンドセットをとったのに、サードセットに なったら何か違うことをやろうとし、愚かな結果になった。最近は彼も成長したから、何か間違ったことを している時は気づくようになったけれど。」「この頃は、世の中の人々がグガと一緒に働くのはとてもやさしい ことだと言っているけれど、いやいやそんなものじゃない。14歳のころからずっと常に成長させねば ならなかったんだ。」
「グガの最も素晴らしいゲームのひとつが、2000年のマスターズ・リスボンのアガシ戦だ。彼は試合前に 常に攻撃して強く打っていきたいと語り、実際にそれをやってみせて、アガシに何もさせなかった。 あの6−4のスコアが3つ並ぶ幸せなゲームは、これからもずっと私の人生に刻みこまれているだろう。 インドアコートでマスターズのタイトルを獲得して、世界No1になった・・・。あの時までグガはクレーコート ・スペシャリストだと言われていたんだよなぁ。それが今はハードコートでしか勝てないなんて 言われるんだから・・・。」
(コメント by Yuu :最後のグチを言いたくなる気持ちはよ〜くわかりますね。。。)
「ブラジルの若手たちは伸びてきているよ。しかしヨーロッパの選手はもっと先へ進んでいる。15歳の頃には もう家族から離れて自分で決断するし、18歳で招待選手として大会に参加する頃には、自分より優れた者と いうよりもライバルとして対戦相手をとらえている。私が面倒をみている若手選手には、まず必要なステップ として、自分自身を信じさせねばならない。」「ブラジルの若手選手たちはまだ安定感がなく、なかなか飛躍 できない。試合で優位に立つためにもっと訓練する必要があるね。フラビオ・サレッタは飛躍しようとしている ところだ。世界のトップ50に入ろうとしているし、年末までにはトップ30も可能だろう。」
(コメント by Yuu :ここでサレッタの名が出るところにブラジルの新世代の苦しさが出ているような。。。そろそろ 彼よりも3〜4歳下の世代が名をあげないと。)
Part 2 サーキットのスターへのアドバイス
「私に関心をもってくれるプレーヤーはいるよ。ヘンマンはいつも話しにやってくる。2000年のモンテカルロ では彼がアドバイスを求めてきたので、最初のショットの配球がまずいとコメントした。これは技術面での ミスだったのだがね。今年のローマでヘンマンと彼のコーチ会った時、私は彼のフォアは恐ろしいものになった とコメントした。ヘンマンは私に感謝し、自分はクレーコートで進歩していると語っていたよ。スリチャパンも またしばしば私のところにやってくるプレーヤーだ。2年前のL.A.で彼はポジショニングに問題を抱えていたので、 そのことを話した。彼はそれを改善し今も感謝してくれているよ。それからモニカ・セレスからは一緒に トレーニングをしようと招待を受けた。これは時間が無いため断らざるを得なかったが、我々の間には 素晴らしい友情が存在している。私はとても倫理的な人間だから、プロ選手として誰かが困っているのを 見過ごすことはできないんだ。何か間違いをみつけたら手助けしたくなる。もしグガとの仕事が終われば( 他のプレーヤーを援助するために)1週間ぐらい割けるかもしれないけれど、今はそんな考えはないね。」
(コメント by Yuu :グガのダブルス・パートナー選びの謎がここで解明?!だとすると、パラドンとのダブルスも いつかお目見えするかもしれないですね。)
「素晴らしい尊敬の念がある。今年のバルセロナでは、マリアノ・プエルタを呼んで攻守を交代させながら グガとトレーニングさせた。プエルタのコーチのティーノ・エローザは、こんなやり方は初めてだとビックリ していたよ。私はインターバルを置かずに続けるようにマリアノに助言した。そうすることで結果的に心拍数を 素早く低下させ、ガス欠を防ぐことができるからね。その時点で彼のランキングは120位だったのだが、 それから彼らはこの新しい方法を取り入れ効果を感じたようだ。ウィンブルドンで再会した時にはふたりから ハグされ感謝されたよ。目標は年内に100位に戻ることだったのに、もうその時には85位に上昇 していたから。」
(コメント by Yuu :プエルタは、2000年にジャンプしてアルゼンチンの旗頭となる勢いだったのに、手首の故障で 苦しんでいた選手。グガにも勝ったことがあるし、調子が戻れば怖い選手なのに、それでもヘルプを 惜しまないパソスさんなのだな。。。)
「しばしば私はハリー・ホップマンの精神を受け継いでいると感じる。1979年に初めてフロリダにある彼の アカデミーを訪問して以来、彼に特別な親愛を感じている。あの時のアカデミーは今のように商業的 ではなかった。私は商業的な一面に何ら反対はしないが、私の中のスピリチュアルな一面が子供達から お金をとることに抵抗するんだ。ホップマンにインスパイアーされ、ブラジルへ戻ってからは、私の 体育生理学にアメリカの生理学に基づいた正統派のトレーニング方法を取り入れた。私にとって大きな 飛躍だった。」
「トニー・ピカード(ステファン・エドバーグのコーチ)もとても尊敬している。 私はグガにエドバーグを手本にするように教えていた。エドバーグの流れるような動きを身につけて ほしかったんだ。97年にピカードに会うことができたのだが、彼がその時語ったのは、私が育てている プレーヤーは世界でもベストのベースライナーなのだから、あんなに唐突にネットにダッシュさせる べきではない、もっと機を見極めてネットに出るべきだということだった。それから、オーストラリアのあるコーチも サーブについて素晴らしいアドバイスを与えてくれたな。彼らからは実に多くのことを学んだが、 やはり最も尊敬し参考としたのはホップマンだね。」
(コメント by Yuu :ピカードさんの言葉がおもしろいですね。私はもっとネットに出るように奨励されるのかと 思っていたんだけど、ピカードさんも選手個々の資質をいかそうとするコーチなんだな。)
「町を歩いていても素晴らしい情愛を感じるよ。今後はサンパウロに住むことになるので、そこで過ごすことも 多いけれど、サンパウロでも尊敬を感じる。とあるマスコミは私を傷つけたけれど、その罪は一部私のせいでも ある。多分、あの時('97年ローランギャロスでグガが優勝した後)は、私はもっと自分をプロモートすべき だったのだろう。私はすでにジュニアの世界では成功していて '90/’91シーズンにはドイツで表彰も受けた。 多くの人がグガはコーチを変えるべきだと言ったけれど、私はそれに反論はしなかった。ただグガを守ろうと しただけだ。彼はまだ20歳の子供でトレーニングと試合の毎日で疲れていた。私はインタビューは受け付けない と告げ、彼を守るガード役となったわけだ。」
(コメント by Yuu :マスコミの興味が一気に押し寄せた'97年ローランギャロス後は、ふたりにとっても大変な 時期だったと思うし、よくぞ上手く切り抜けたと思う。当時自分を正当に評価しなかったマスコミの攻撃に 傷ついたというパソスさんだけど、そのマスコミの罪には自分にも少し責任があると認めるところが偉い。)
「私はHeadとの契約があり、毎年子供たち向けのクリニックを開催することになっている。しかしそれは ブラジル・テニス界の助けにはならないと思ったんだ。私はコーチを対象とすることにし、Headが20人の コーチを選抜した。テニスプレーヤーがプロになるまでの6年間のトレーニング方法については、私には 十分な経験と資料があるからね。とても素晴らしくやる気をかきたてられるプロジェクトだ。Headと 契約しているからやっていると思うかもしれないが、それ以上のものなんだよ。年末にはサンタ・ カタリーナ州の16人のコーチを招いて講習を行うことになっているし、サンパウロのテニス連盟にも やはり16人を選ぶように提案しているし、同じことをリオ・グランデ・ド・スル州やパラナ州でもやるつもりだ。 近くの地区ならば、スケジュールが空いている週末を使ってもいいと思っている。理想はメソッドに則った アカデミーをたくさんつくることだ。私はカルロス・アルベルト・キルメイヤーとダニエル・ローゼンバウムが ブラジル中で展開した“Curso de Capacitacao para Professores”を高く評価している。私のアカデミーで 教えているコーチ陣はみなあそこで学んだんだからね。」
(コメント by Yuu :働き者!)
Part 3 ”結婚”もルーティンには影響なし
「私の人生に何か素晴らしいことが起こっているよ。これまでは幸せや人生のバランスというものが存在 していなかったが、ようやくそれを手に入れた。私は彼女(お相手はESPN Brasilのレポーター)をよく 知っており、彼女は私を理解し、愛し、力を与えてくれる。私たちはサンパウロで生活することになるが、 今のところはサンパウロで何かプロジェクトを立ち上げるプランはない。グガとの仕事とカンボリューでの プロジェクトには今までと同じように取り組むよ。」
(コメント by Yuu :おめでとう!)
「それはまだ秘密だ。」
(コメント by Yuu :グガのタキシード姿をみてみたいですね〜)
「私が11歳の時だ。それ以来テニスは私の夢となった。私にとっての初めてのラケットを手にした時、 その贈り物は私の人生を変える力を持っていたんだ。私の周りには、マリワナを吸い、酒を飲み、路上で 寝起きするような人間たちがいたが、私は、それは決して真似してはいけないものだとわかっていた。」 「私がテニスを学び始めた頃には偏見があって、いつもシャツの中にラケットを隠して持っていたものだが、 とにかく私にとっては素晴らしいことで、これから私のプロジェクトで子供たちにお返しをしようと しているんだ。」
(コメント by Yuu :この”最初のラケット”を与えてくれた人が、2000年ハンブルグ直前に亡くなったという ”大切な友人”だと思う。あの時のパソスさんの懸命の応援とグガ優勝決定後の涙には、いろいろな思いが あったのでしょうね。)
「このプロジェクトのおかげで私は毎日心穏やかに眠ることができ、働くエネルギーを与えられているんだ。 スタートしたのは2000年の2月で、その時私はカンボリュー地区の生徒280人の親に手紙を送った。 返事が返ってきたのは64人で、私はその64人の子供たちをテニスコートに連れてきたんだ。始まりは ゆっくりとだったんだよ。8足のソックスに8足のテニスシューズ。最初の8ヶ月は私の私財を注ぎ 込んだんだ。」
「今ではスポンサー(Banco do Brasil, Kuat, Olympikus, Head)のサポートを得て、 子供たちは、ウェアー、食事、シューズ、ラケットを供給され、アカデミー内の歯科医院も利用できるし、 送迎や栄養士のケアも受けることがでる。現在は75人の子供たちが4人のコーチからトレーニングを 受けているよ。トレーニングは週2回行われるが、子供たちには、学校の成績が上がらなければ、レッスンは 受けられないと強く言ってあるんだ。進歩の具合は一般的なものだね。」
「私が誇りに思うのは、社会活動を 進めようとしている会社が、このプロジェクトを参考にしていることだ。ロンドンのある社会プログラム からは提携の依頼がきていて、来年には何人かの子供たちが交換留学のためにカンボリューにやって くることになっているんだ。もうこのプロジェクトなしに私の人生はあり得ないね。私の人生の一部なんだ。」
「何か恐れているものはあるか?と質問してきた人はいなかったなぁ。。。私の成功の秘訣は、何か具体的な ものにだけ恐れを抱いてきたことだ。子供の頃から、漠然とした恐れは抱くなと教えられてきた。私が6歳の 頃には、工場にいる父親に食事を届けていたのだが、それには鉄道の線路を横切らなければならなかったんだ。 そこを通るのは恐ろしくでっかいMaria Fumaca号でね。父親がいつも気をつけなさい!と注意していたので、 とても恐ろしかったんだ。」「私をそそのかそうとする言葉には決して恐れは抱かないよ。いつもそれに 対抗する力は持っているからね。」
(コメント by Yuu :パソスさんのお父さんの教えは、言い変えれば”本当は何を恐れているのかをはっきり させなさい”ということだと思う。実は私の父も同じことを言っていたのですよ。「海は怖い!」とゴネる 小学生の私に、色々と質問をし、結局は「海が怖いんじゃなくて、”ジョーズ”に出てくるでっかいサメに 食われるか、”ザ・ディープ”に出てくるでっかいウツボに引きずりこまれるのが怖いんだろ?」と結論 づけられ、到底サメもウツボもいなさそうな地元の海に連れていかれたことを思いだすなぁ。)