校長先生の挑戦 鹿児島を歩く

平成17年2月12日、本校の職員旅行が出発しました。総勢8人は新幹線に乗りたくて、熊本駅に9時集合したのです。9時半発のリレーつばめ3号に乗り込み、新八代駅に到着。そのままホームで「つばめ」に乗り換え、鹿児島を目指しました。とにかく新幹線はトンネルが多く、景色を楽しむ余裕はありません。10時33分、鹿児島中央駅に到着。

電車で天文館へ行き、まずは昼食。その後中央公園へ行き、シティビュー(市内遊覧バス)に乗りました。着いたのは、仙厳園です。桜島と錦江湾を背景とした仙厳園は、1658年に19代島津光久が建てた別邸です。磯御殿の中にも入り、案内を受けました。かなり広い屋敷で、私にとっては迷路です。土産店へいき、薩摩切子のストラップを一個購入しました。
再びバスで中央駅に戻り、在来線で指宿へ行ったのです。時間もありましたので、早速砂むしに入りました。初めての経験で、結構熱い砂風呂でした。浴衣を着たまま風呂から上がる人は、まるで土石流の被害にあった人のようです。

翌日(平成17年2月13日)の出発は11時予定でしたが、時間がもったいので三人だけ先に出発しました。鹿児島中央駅で二人の先生と別れ、私は一人で城山へタクシーで向かいました。到着したのは、11時でした。上の写真は、城山展望台から撮影した桜島です。観光客でにぎわっていました。
私の挑戦は、ここからが始まりです。西南戦争関係の史跡を、できるだけ多く見て回ろうという考えです。西郷隆盛の最後の決戦場は、ここ城山です。周囲は雑木林であり、熊本県植木町の田原坂とよく似ています。頂上から下れば、いくつかの史跡があります。

しばらく徒歩で下ると、弘法太子ゆかりの「十三仏」がありました。一服休憩をしてさらに下ると「西郷洞窟」に来ました。公園になっていて、西郷が身を隠したという洞窟がありました。中は狭く、周囲は柵で囲ってあります。周辺は観光地になっていますが、当時は雑木林だったと思われます。

この後国道10号線に出て、薩摩義士碑を見ました。さらに、鶴丸城跡の堀を見学しました。石垣の中に入ったところ、いくつもの文化施設がありました。さすがにお城跡ということで、敷地は広いです。明治時代は、第七高等学校があった場所のようです。私が入館したのは、鹿児島県歴史資料センター・黎明館です。古代から現代までの資料がそろっていて、大変充実している施設でした。

一時間ほど見学しましたが、ここに来てよかったと思いました。いろんな事で親切にしていただきましたが、場所がわからない私学校跡と西郷終えんの地を教えていただきました。どちらも近くでしたから、すぐに向かいました。「私学校跡」は、現在病院になっています。しかし、当時の長い石垣は残されていて、数多くの弾痕が残っていました。

「西郷終えんの地」はJR線路沿いにあり、大きな石碑が建てられていました。訪れる人は少なく、住宅街の一角です。洞窟を出た西郷隆盛は、銃弾を受けたままここまで歩いてきたのでしょう。

さて、ここからかなり歩きました。標識に鹿児島駅とありましたので、てくてくと進んだら鹿児島中央駅ではありませんでした。私の勘違いで、反対方向へ来たのです。仕方がないので、食堂を探して昼食を取りました。店の方に聞いたら、南洲公園(南洲墓地・南洲顕彰館)は近いということでした。せっかく鹿児島に来たのですから、再び歩き始めました。

南洲墓地は、西郷隆盛をはじめ薩軍の勇士が眠る墓地です。ここへ到着したのは、午後2時を過ぎていました。2,000余名の墓地は広く、周囲は整備されて公園になっていました。階段を登った正面の一番大きな墓が、西郷隆盛です。周囲の墓には説明書きがあり、有名な人物の紹介がしてあります。

南洲顕彰館に入館し、西郷隆盛関連の資料を見学しました。記念に図書一冊を購入し、仲間が待っている鹿児島中央駅へタクシーを飛ばしました。4時間は歩いたと思いますが、思う存分史跡見学ができて満足した一日でした。